栄養失調や疾患を改善する短期的な「治療食」と、長寿や健康維持を目指す長期的な「予防食」の違いを理解しない限り、食事法や体系の論争は永遠に続くでしょう。
また、遺伝子変異や、子宮内環境によって影響されたエピジェネティクス・エラー、そして今までしてきた食生活や生活習慣などによっても遺伝子の発現が変わり、個々の代謝や回路に違いが出てきます。それは、私たちがそれぞれ性格や考え方などが異なるように、代謝系にも違いがあるのです。
ヒトは石器時代や狩猟採集生活の野生システムから離れ、農耕と文明生活を築いてから、自然界の食物連鎖のメンバーではなくなりました。
もしヒトがまだ食物連鎖の一員であれば、決して健康長寿を目的とせず、生殖力や活動力に最適な食べ物を優先して選ぶことでしょう。しかし、ヒトは文明を築き、野生動物とは他の道を選びました。人口増加と安定に入ったヒトは子孫繁栄以外に自身の健康長寿を最終的な目的とするようになったのです。
つまり、パレオ時代に食べていたもの、または未だに狩猟採集生活などを送っている伝統社会が食べているものなどを、近代人の日常的な食生活にそのまま置き換えることは、非常にナンセンスであり、生きる概念が変わった今の時代背景には合っていません。
私がいくつか見てきた狩猟採集などを続けている伝統社会は、ケガや事故そして感染症による死亡や突然死が多く、さらに平均して短命であるため、いつ死ぬか分からないという状況の中で、生殖や種の保存に重きを置いています。最終的な目的が健康長寿であるようには見られません。
栄養失調やなんらかの疾患を抱えている人に、足りない栄養素を集中して補給し続ける、短期的な治療食は確かに大切です。それはまさに狩猟採集を続けている食物連鎖システムの食事に似ているかもしれません。しかし、回復後にもその食事を続けて、長寿を全うできるかどうかはまた別の話です。
ヒトは地球のどの地域にも生息している珍しい哺乳動物で、その土地によって食事内容が全く異なります。一部の人が提唱する、人類本来の食性とは一体何でしょうか。仮にそれが定義されていても、その食性が生殖力や活動力を生んだとしても、現代人の長寿を全うする内容だとは限らないのです。
短期的な改善を試みた治療食と、数十年単位で考えていく予防食は、意味が違うのです。
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