与えることと与えないこと・・・与える考えを重視する人は、当然栄養であっても含有量であったり数字であったり科学であったりに固執する傾向がある。 逆にマクロビや断食派は科学だけでなくスピ系やベジの考えに固執する傾向がある

与えることと与えないこと
 
たまには社会毒含めた初歩的なことでなく、応用的なことや基礎の全体論的ことも書こうかと思う。
これはセラピストや食育者や医療関係者にとっては重要な内容だろうが、たぶん全国を回っている限り理解している人はほとんどいないようにみえる。
題材は上記のとおりだが、医療的に言うと薬物の原則であり食事療法の原則の話でもある。
 
なぜ人々は食事について和食がいいとか糖質制限がいいとか二分した話をし、この方法がよいと全員がどちらかに固執するのかわかるだろうか?
代替医療の現場を見ているとわかるが、そのどちらでもよくなる人は良くなっている。
良くならない人はどちらかをやってもよくならない。
 
さらにいうと糖質制限系=分子整合栄養学系はサプリも含めて、栄養を与えることが基本原則になっている。
和食やマクロビ=食養学や海外のもの含めては、単に与えるより与えないことにかなり大きなウェイトを占めている。
粗食の考え方もそうだし究極的には断食になろう。
ここで迷っている人々はおそらくゴマンといるはずである。
 
付け加えるなら、与える考えを重視する人は、当然栄養であっても含有量であったり数字であったり科学であったりに固執する傾向がある。
逆にマクロビや断食派は科学だけでなくスピ系やベジの考えに固執する傾向がある。
このどちらもが間違っていると思う人は世の中にどれくらいいるのだろう。
治療経験を込みにして具体的に話せる人はどれくらいいるのだろうと思う。 
 
実はこれらの成否を決める要素は栄養ではなかったりする。
もちろん栄養は重要だ。私は個人的には先住民食の考え方に賛同しているので、考えとしては糖質制限寄りになる。
現場を見ていると明らかに栄養欠乏で悪くなっている人が多い。
 
しかしそうではない食事で非常に健康な人を今でも見かける。
明らかに栄養欠乏な食事のはずなのに、90歳でもピンピンしていて背骨も曲がってないとか、そういう人をたまに見かける。
そして現代人がそれを真似ようとするとまた失敗することもよくある。
さらにいうと糖質制限寄りの考えなのにそればかり使わないのは、この理論が生体にとっての与える理論だからである。
 
これは麻薬や覚醒剤の作り方と概念を理解できればわかる。
実は麻薬や覚醒剤や考え方の理論としては与える理論であり、であるからこそ安全であると科学者たちは噓をついてきたのである。
麻薬や覚醒剤で精製され混入している物質は、すべて人体の中に存在している物質であり多量に与えても安心だ、というのが基礎理論である。
 
もちろんこれは噓なのだが。 言うなれば麻薬や覚醒剤だけでなくほとんどすべての医療薬は、この考え方をもとにして作られている。
これは実は危険なのだが、同様の理屈を分子整合栄養学は部分的に行っているところに難点がある。
糖を精製されているものとして完全に除外し、精製物以外でもカットするのはいいのだが、その他のものは人体にあるので与えてもよいという考え方では同じなのだ。
 
これはたとえビタミンやミネラルなどであっても、実は適応できる時とできない時がある。
このような話がなぜ末期癌や難病や膠原病が治ってしまうのか、という話にも通じる。
彼らの中には片方の理論で治る人もいれば、もう片方の理論で治ってしまう人もいる。
この規定因子を栄養だけでとらえないことは非常に重要である。
 
では何が規定するのかとなると大規模な研究などは存在しないから、話がややこしくなりオカルトのような印象を与え、科学的ではないという話になる。
しかし現実を見たときに結果と既存科学とどっちを重視するのか、本来は言うまでもないことである。
ではこれらを規定する栄養以外の要素とはなんだろうか。
これらを問い詰めていくと結局古典医学に戻っていくことが多い。
 
その古典医学を現代科学で問い詰め直しているのが今の欧米である。
その要素とは量子、周波数、電子に関する学問、腸内細菌、ミトコンドリアと遺伝子の特性、精神的な特性とこれらのかかわりなどである。
ほかにも要素があるだろうが、現代医学者や食学者たちはこれらを使い分けることができないようである。
 
素人的概念で結構だが、マイナスの人にマイナスの治療をすると悪くなる。
プラスの人にプラスの治療をすると悪くなる。
マイナスの時には何がマイナスの要因となっているのか、それは栄養だけの問題なのかほかの化学物質なのか、プラスの状態に陥っている人はなにが同様にプラスの要因に陥らせているのか、そこを考える必要がある。
 
こういうのは既存科学の数字や統計学や科学的数字を見ても解決しない。
そしてだからこそ、陰と陽のようにあらゆる学問の反対学を学び、使い分ける必要があるのである。

参照:https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/2587552834661787

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