感情に対しての理解・・・完璧ではないからこそ人間なのでは?今の精神医学の価値観では、精神を完全にコントロールできない人間以外はすべて精神病となってしまう。

感情に対しての理解
 
今の精神医学の価値観では、精神を完全にコントロールできない人間以外はすべて精神病となってしまう。
その価値観の中では、何も知らない一般人は周囲に合わせるため、完璧を求めて薬を飲むことによって、自分の不完全な部分を補おうと考える。
薬によって自分の性格を変えようとまでする。
けっして薬ではその欲求が叶うことはないのにそうする。
これは一般の詐欺が人の金銭的欲望を利用するのと同じように、人の評価や周囲への配慮を逆利用した巧妙な詐欺手口ともいえるだろう。
 
これらを考慮すれば、この世で精神病とやらにならず生きていこうとしたら、感情を消しとおすしか道はない。
さまざまな気質を個性として重視した時代はすでに過去のものであり、少しでも社会にそぐわないもの、異質なものはすべて病気として規定されるようになった。
それがどれほどおかしいことか、今更説明は必要ないだろう。
人間はちょっとしたことで怒り、泣き、笑い、悲しむ、ちょっとしたことで不安になり、どうでもいいことにこだわってしまう。
その精神症状は必ず出なくてはいけないものなのである。
 
精神科の患者やその家族はこの人間として普遍的な考え方が決してできない。
だからこそ精神科に行き薬漬けとなり本人も家族も不幸になるのである。
これはあらゆる精神的症状を敵視してはいけないということでもある。
不眠でさえそうであり、たとえば自殺対策の一環として、内閣府が二〇一〇年三月から始めた、「睡眠キャンペーン」では、不眠の治療をしたことによって自殺が増えてしまった。
ある地域ではその逆に精神科に受診しないこと、精神薬を服用しないことなどを市民や役所向け啓蒙し、本拠がある宮城県では二〇%以上も自殺率が改善した。
 
患者や家族というのは往々にして感情的である。
そして少々調べてクスリが悪いと分かったとしても、よりよい精神医療というものが存在するのではないか、という甘い幻想を抱いている。
そういう幻想があるとどうしても診断や治療など、精神医学に準拠したような行動しかとれなくなってしまう。
障害という考え方や、薬は正しいものだという考え方から抜け出せない。
もしその幻想に浸っていたかったらそうすればいい。
私は決して止めははしない。
一生薬漬けになってボロボロになってもらいたいと思う。
自分で選んだ道だから。

参照:https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/2588841864532884

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