もう一人の岡本太郎と呼ばれた岡本敏子さんは歓びの天才だった

リンク)より引用

■太郎さんと敏子さん

79歳でこの世を去る直前まで、

キラキラとした少女のような笑顔で笑う女性。

まるで初恋のように、愛する人について語る女性。

まるで母のように、温かく優しく微笑む女性。

それが…、岡本敏子さん。

岡本太郎さんの秘書であり、後に養女になり、実質的には妻ともいえる存在。

長年にわたり岡本太郎さんを支え続けた最良のパートナー。

養女?  妻?  パートナー?  えっ?それって?  なに?

なぁ~んて、ついつい聞きたくなる… というものですが…  

そんなことは、おかまいなし。

「なんで、結婚してくれないのよぉ~~~」なんて言葉も、敏子さんはもちろん言いません。

50年近くも、ず~っと側にいたのに、語る目が、本当にキラキラとしていて

ず~っと 太郎さんに恋し続ける少女のよう な言葉の数々。

■「もう一人の岡本太郎」敏子さんは「歓びの天才」

敏子さんは、太郎さんが日々何気なく発する言葉の数々を、

目を輝かせて聞き入り、必死にメモして歩きました。

しばらくして、敏子さんがまとめたメモを太郎さんが見る。

2人が会話する。盛り上がる!盛り上がる!

そこから更に発想が膨らみ、発展していき… 太郎さんは言葉を発する。

敏子さんは、それを更にメモしていく… 

太郎さんがメモをみる… 二人が会話する… 発想が膨らむ…

そんな繰り返し、そんな二人の関係の中で、爆発するように化学反応を起こし、

数多くの作品や著書が生まれました。

実際に、多くの著書は、太郎さんが口述し、

それを敏子さんが原稿としてまとめたものであることは有名な話で

敏子さんは、「もう一人の岡本太郎」だったとも言えるでしょう。

更に敏子さんは、「歓びの天才」だったともいいます。

作品をみて、「わぁ~、凄い」「いいわねぇ。いい。いいなぁ」と

時には涙を流しながら、全身、全存在で歓ぶんですって。

岡本太郎さんにとって、敏子さんは

正に、芸術の女神「ミューズ」だったんでしょうね。

話せば会話が膨らむ…、

いつも誉めて励ましてくれる…、

自分の才能を心の底から信じてくれる…

これは、男女関係なく “モテ” ますね。

究極の “モテ” 技術 かもしれません。

■自分自身で決めた “太郎さんと一緒の人生” 

ある日の太郎さんと敏子さんの会話。

「オレが岡本太郎でなくなったら、自殺するよ。」

「心配しないでいいわ、太郎先生が年とってボケたりしたら、

 もう、岡本太郎でなくなったら、わたくしが殺してあげます。」

「わたくしも死にますから」

さらりと明るくこんなことを言ってのける敏子さん。

敏子さんは昔から、岡本太郎さんがいらっしゃらなくなったら殉死するつもり、

と公言していたそうです。

決して、太郎さんに振り回され、我慢し、身を捧げる… そんな受身の人生ではなく、

自分自身の価値観で、自分自身で決めた “太郎さんと一緒の人生” だったからこそ、

周りが心配するような 二人の関係に対する 不安 だとか 悲壮感 など一切なく、

敏子さんは、控えめなのに隠しきれないように、凛としたオーラを放ち続けられたのでしょう。

それにしても、79歳にして、存在自体の この透明感。

敏子さんのように生きることができたら…、

おばちゃんにも おばあちゃんにもならないのかもしれませんね。

ある番組の中で、岡本太郎記念館にもよく足を運ぶという 宮沢りえちゃん も

「太郎さんと敏子さんの関係は、 最も憧れる関係。」と話していました。

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参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=361301

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