発達障害について否定するときに一番簡単な理由は、それが何の科学的根拠もなく、精神科医の主観によって決定されるということです。
「あ~。この子なんか変だね、ハイ、発達障害。」「あ~。この子なんかよく動いてムカつくね、ハイ、ADHD。」などと付けることが日常茶飯事の出来事なのです。
しかしこれだけが根拠では「科学や根拠をもって考える」という罠に汚染されつくした現代人は、きっと納得することはないでしょう。
発達障害と扱われる子供たちの一部は、一般的に「大人の常識に照らし合わせた上での問題」というのを抱えているとされます。
全員とは言いませんがこれは否定しません。
しかしここでもすでに発達障害というものを否定することができます。
これは観念論ですので主たる否定の論拠はここにはないのですが、こう考えられるかどうかは親が子供を真剣に守ることができるかどうかの境目になります。
逆にいえばどんなきれいごとを述べていても、こう考えることのできない親たちはまさに「口ばっかりニンゲン」の代表格ということです。
ある問題が存在するとします。
友達とケンカする、親の言うことを聞かない、かんしゃくを起こす、同じことを繰り返す、コミュニケーションがうまくいかないなど、その種類は多数あるでしょう。
しかしまず第一に考えなければならないのは、この状態をそもそも社会が許容できないということのおかしさです。
あなた方「親」にはそれが理解できるでしょうか?
この状態に対して何とかして改善したいと思うことは、実はきれいごとを吐いているようで、どれだけ常識と体裁と親の都合に子供を添わせようとしているかという現れであり、いわゆる精神医学に代表される支配学のなれの果て観念であるということです。
病名というのは何を意図し何のためにつけられるのか、それをすでに全人類は誤解しています。
一番誤解しているのが世界中の医師たちであり、次に誤解しているのが患者や家族たちです。
病名というのは状態を表すから病名となるのではありません。
病名とは「通常の状態というのがなんであるかを必ず規定することができ、異常であるという理由を科学的、医学的に100%証明することができ、100%証明できることが可能だからこそ治癒につながる」ことが前提です。
なぜなら病名をつけることは治療行為を行うことと本来セットであり、その治療行為は本来傷害行為もしくは侵襲行為と認めることができるものだからです。
だから医学は傷害であり妥当性がなければ治療してはいけない、と言われるわけであって、これは私の独断ではなく医学の教科書などにもきちんと書いてある初歩中の初歩です。
つまりほかの病名ではおなかが痛いときに、「細菌性胃腸炎」や「ウイルス性胃腸炎」や「癌」という病名になりますが、発達障害をおなかが痛い場合と照らし合わせて考えれば、「腹痛い病」であるということです。
発達障害はもともと発達の問題について扱っているわけではなく、問題行動にレッテルを張っているだけですから。
つまりこれは何の問題解決も導くことはできません。
そうすると何をするかとなれば、原因を追究するのではなく、とりあえずその症状を無理やり抑えたり、大人たちの都合いい状態に転化しようとします。
これこそが「対症療法」であり、その場良ければすべて良しという醜い大人の典型的な思考法なのです。
そして結果的に精神科では麻薬や覚醒剤的クスリの投与によって、子供を支配しようとするのです。参照:https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=774722006349722&id=100014357893194