【食べて応援】イタ飯、パスタ、ワインブーム・・・食べて応援はフクシマ以前、チェルノブイリの時から日本で行われていた。

日本でイタメシブームが起きたのは1980年代末のことだった。理由はイタリアの誇るパスタ産業が汚染によって売りあげが低迷し、新しい開拓先を日本に求 めたからだった。当時、トルコから地中海に至るまで激しくセシウム汚染され小麦や紅茶が売れなくなり、警戒心の薄い日本に持ち込まれた。

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さて、むかしむかし、ウクライナのチェルノブイリで事故(1986年)があった頃、
日本では、イタリアン・ブーム(スパゲティー・ブーム)に火が点いた。

1986年と云えば、日本ではまだバブルが始まって2合目辺りの時期。
東京の外食産業は、1980年頃の、アメリカン・生クリームケーキ
& ロング・カクテル のブームから、フレンチ・ケーキ&ショート・カクテル
のブームの時代を経て、フレンチのビストロ・ブームから
ようやくイタリアンに目が向き始めた頃のこと。

それまで、スパゲティーと云えば、「 ママ・スパゲティ 」と
「 ナポリタンやミートソーススパゲティ、マカロニ 」しか
大半の日本人は知らなかった。
そこへ、渋谷の「 青の洞窟 」と「 ペペロンチーノ 」が大人気となり、
TVでもコマーシャルをするまでになっていた頃のこと。
(ちなみにペペロンチーノの正式名称は
「 スパゲティ・アーリオ・オリオ・コン・ペペロンチーノ・ア・ラ・ネッロ 」と云う。
つまり、「 ニンニクとオリーブオイルのスパゲティ・唐辛子風味のネロ皇帝風 」
と云うこと。しかし、ネロの時代、まだスパゲティはなかった。のは愛嬌)

当時既に僕は、イタリア食材輸入専門商社:いずみ だったか モンテ物産
だったかが入れてたイタリア最大のパスタメーカーが作る「 ブイトーニ 」を常食としていた。
今では、消費者向けの製造・サービス業で「 業界最大 」などというと
なにやらイカガワしい、インチキ商品を大量生産してるメーカーの
イメージが強くなってしまうが、バブル黎明期に於いては、
「 業界最大 」はまだ信頼のステータスだったのだ。

そんなわけで「 ブイトーニ 」を買うには、紀伊国屋とかナショナル麻布とかの
特殊なスーパーに行かなければ入手は困難な商品だった。

ところがある日、その辺の普通のスーパーに「 ブイトーニ 」が山積みに!
驚いて、輸入業者を見てみたら、某・超大手製粉会社の名前。

人が使ってるものはゼッタイニ使いたくない僕としては、
この日から、ちょっと高めの「 デ・チェコ 」に。

で、少し経った頃、イタリアで、「 パスタ・パニック 」が起きてるとの情報が。
パスタに使われているデュモリナ小麦粉の、最大生産地が、なんと!
ウクライナ ~ 東欧 にかけてとのことで、放射性物質を浴びたデュモリナ小麦を
使ったパスタが大問題になっていて、「 ブイトーニ 」などは安いウクライナ産を
中心に使ってるとのこと。

参照:https://blog.goo.ne.jp/kg7n-oka6re4bl_kd6b-ra6bi_4eg/e/c21ee248da5c4d782a4872e044e4cdb8

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