病気について本質的な定義とは何かを考える・・・対症療法は「苦痛」や「症状」を緩和させるが病気を治してはいない。

病気について本質的な定義とは何かを考える。
病気とは何か?と問われた時にほとんどすべての人が、「苦痛」や「症状」と同列して語ることが多い。
確かにその気持ちはわかる。
この考えこそが医原病を作り出す根幹なのである。
その苦痛が病気であること、その症状が病気であることを直結させてしまえば、それは対症療法であるアロパシー医学への道を開くだけである。
そしてそれは病気を治すことに結局つながらない。
 
なぜ医学において診断をするのかを考えねばならない。
その診断は枠にはめて安心したり、グループ化するためのものではない。
その診断はすべて本質的な治療に結びつくためにこそ存在する価値があるのである。
違う意味でいえば医学不要論では、その病気、その定義、その診断が治療に本質的に直結しなければならない。
はっきりいってしまえば症状はあるが原因が不明なものは、すべて「原因不明の難病」とか「医学ではなおらない病」などに統一してもらえば結構である。
 
では様々な治らない病気、苦しんでいる症状はどうするのだ?とすぐに反論が返ってきそうだ。
医学は癒したりとか共感することを目的としたものではない。
そのような考え方こそが医療化を生み出し続け、不要で無駄な医学の普及に貢献してきたことを知らねばならない。
実際様々な治らない病気と扱われているものにおいて、治癒するものはたくさんあるのだ。
それは一般人がその方法を知らないだけでなく、病気に対するとらえ方が間違っているからだ。
 
私は講演などでよく、「その病気そもそも存在しません」という表現をする。
これには大きく分けて二つの意味がある。
一つは証拠証明なくして医学の病気と規定することさえできないという話。
もう一つはもともと人間の病気ではなかったのに作られた、仕立てられたという話。
この二つである。
よく言われる話として野生動物は癌にはならないというのがある。
そして一般人は野生動物が長生きしないから癌にならないのだという論調を並べる。
前者はほぼ正しいが後者は正しくはない。
やはり野生動物がかかる病気の筆頭は感染症、骨折による死、飢餓、老衰や食欲不振に伴うものであって、リウマチでびっこを引いている野生動物もまず見かけない。
彼らには糖尿病などという生活習慣病もほとんど皆無である。
 
あなたの病気、それが重病であっても、その病気は必然として起こっているし、本来人間は現代人がかかる多くの病気を、そもそも持ち合わせていないのだ。
これは決して宗教的な感覚ではなく明確な科学的考察である。
癌、動脈硬化性疾患、膠原病、アレルギー、また現在原因が特定されていない多くの身体疾患とやらは、実は人間がこれほどまでにかかる病気ではなかったのだ。
確かに現代社会が存在しているので、なってしまったらしょうがないのだが、そこから考えを巻き戻さない限り、本当の意味での治癒は可能性としてさえ見えなくなる。
 
現代医学が病気として扱っている定義は、そのほとんどが間違っていると言ってよい。
それらは原因や因果関係がはっきりしないものばかりで、病気に対する定義となりえていない。
人間はもともとそれらの病気にはかかりにくい生物であり、病気作り、基準の捏造による偽の病気や、化学物質、環境物質、栄養素などによる様々な問題点を振り返り、真の病気を明らかにして定義していく必要がある。

参照:https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/2162778543805887

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