竹内結子さん、育った複雑な家庭環境と「心に無理を課していた」少女時代

111竹内さんは、“長男を連れて再婚”した形となったが、実は自分の“境遇”について思いを吐露していたことがある。今から21年前、彼女がまだ19歳のころだ。

・竹内結子さん、育った“複雑な家庭環境”と「心に無理を課していた」少女時代

「’99年に出版された、作家の桜井亜美さんの小説『サーフ・スプラッシュ』の巻末の“解説”を寄稿しています。前年の’98年に、同じく桜井さんの小説『イノセントワールド』を原作とした実写版映画に出演しているので、その縁から寄稿することになったのでしょう」(出版関係者)

『サーフ・スプラッシュ』は、高校を辞めたがっている2人の女子高生の物語。1人が辞めたことで2人の手紙のやり取りがはじまり、彼女たちの手紙のやり取りで文章は構成されている。

 思春期の女子高生が主人公のストーリーとあって、竹内さんの解説も自らの高校時代の回想となっている。そこには当時における、自分そして家族への思いも綴られているが、訃報が流れたことを踏まえて読むと、複雑な感情を抱かせる。

・竹内結子さん

たとえば、学校帰りに家に帰りたくなかったときに抱いた思いを次のように表現している。

《帰る家は暖かい家庭そのものに見えたが、カギのかかった空間がいくつもあるような場所だった》

 竹内さんの父は彼女を連れて再婚しており、高校生のときは心の拠り所がなかったように思える。継母のことは《一人の人間として父が必要とした女の人》と表していて、家族での食卓は《晩の食卓の賑やかな景色が、私にはガラス越しのものに見えた。殺風景な自分の部屋でため息をつく》ものだった。

 子どもを抱えての再婚――大人になった竹内さんが築いた家庭は、自分自身が育った家庭そのものだったのかもしれない。当時の生活については、次のようにも綴っている。

《私は父に人生を好きに生きてくれたらいいと思っていた》

《連れ子という荷物がいることを面倒に感じられたくなかった》

《その思いが自分の心に無理を課していたとは気付かなかった》

《私がもっと大人だったら、何でもうまくこなせたかも知れない》

 竹内さんにとって2人の子どもは、当時表現したような“荷物”では決してなかっただろう。そして、彼女の父もきっと同じだったはずだ。

・サーフ・スプラッシュ


・複雑な家庭環境の人っていっぱいいると思う。
竹内さんだけが特別そうだったわけじゃない。それは本人もわかってたはず。
ただ私はこうでしたって話をしてくれてたんでしょう。
この事が自死に影響してるかしてないかなんてそれこそ憶測だよ。

・同じ母親としては、残された子どもたちが一日一日どう過ごしているのだろうとそれが本当に心配です。旦那さんも俳優さんならサラリーマンのように、事情が事情だからと急に休みをもらえるわけでもない。であれば、お子さんの面倒を竹内さんのご両親がみてくれていると勝手に思ってましたが、この記事を読んで、そういう環境でないことにもショックです。

・全員がそうとは言えないが、幼い頃の家庭環境が複雑だと、自分の事は自己解決する癖がついて、自分自身の事を人に語らなくなる。
人に話せば気が楽になるような小さな事も溜め込んでしまう。
自分の顔色や心を覗く人が苦手で、そうじゃない人をパートナーに選んでしまう。

・それなら余計にお子さんを残して逝かないで欲しかった。ご長男のことを思うと胸が痛くなりますし、まだ小さな赤ちゃんも大きくなりこの事を知ったら本当に辛いでしょう。

・母親や父親にも、甘えることの出来ない子供時代を過ごしたということなんだね。
その過程もあって、旦那さんにも上手に甘えることが出来なかったのかな。
いつも自分がしっかりしなくちゃと思ってたんでしょうね。

・きれいごと。
竹内結子さんのお父さんにとってお荷物じゃなかったと思う、って簡単に言わないで。
自分をお荷物だと思ってたことは、そういう雰囲気を感じてたから。
そんな綺麗事を言わなくてもいい。

参照:http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/10294782.html

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