「一握乃灰」という書籍は、広島への原爆投下後に医療のために現地に入った甲神部隊の記録。
ここでは、一度良くなったと思ったのに10年後,20年後に突然死に至る。内部被爆は確実に体を蝕んでいく。これほど恐ろしいことはないし、福島原発事故による影響も同様に発生していくのだと思う。
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原発日誌(265)一握乃灰から見えてくるもの・・
この「一握乃灰」の中において入市被曝され、すなわち入市というのは前述したとおり原爆が投下された後、2週間以内に広島市の爆心地から2・5㌔範囲に入られた人のことを指すのですが、帰郷後10年や20年経ても内部被曝により発病され亡くなられた方も当然おられるのですが、その記録も綴られてあるので転載させていただきます。
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-(二十年も経ってから)-
色いろ手を尽くした結果、帰ってから三年もして大体快くなったようでした。仕事らしいことはしませんでしたが畑などを少しつっついてくれたと思います。
ところが忘れもしない67年三月十六日突然発病し、高熱が続き歯が抜けて物もいえず食うこともできなくなり、ヨダレを流すようになり、五日くらい苦しんで死にました。
当座は悲しさで何も手につきませんでしたが、少し落ちついてから聞いてもらったところ、役所では何もしてくれませんでした。人並みなこともしてくれないのかと腹が立ったが、今はそれもあきらめてお墓詣りをして自分を慰めております
-(十年も経って赤い斑点)-
夫が帰ったときは医者がいなかったので、塩野義のビタミン剤をのませたり、外用薬をぬったりしました。だんだん腫れがひいて、年末頃には三キロほど歩いて病院へ行くようになり、五年ぐらい後には体力も少し回復したかに見えましたが、十年も後の60年初め再発したので入院させました。病院では苦しみ通しで、昏睡状態に陥り入院後七十日ほどで死にました。家へ運んでから湯かんするため裸にしたら、全身に茶色の斑点があり、驚きました。病名はたしか慢性肝炎だったと思います