現代の日本政治への影響力をみると、労働運動が衰退する一方な中、宗教団体の影響力は比較的大きくなっている。とりわけ、神社本庁その他の宗教団体を取りまとめた日本会議と、創価学会→公明党の影響力はあなどれない

日本会議の黒幕として、生長の家が取りざたされるが、現在の生長の家は既に右傾化を否定し、日本会議の事務局の中心をなしているのは「元生長の家」のメンバーに過ぎず、実は、日本会議は様々な宗教団体の寄せ集めでしかない。実は多くの宗教団体が分裂につぐ分裂を繰り返しており、弱小団体ばかりである。従って、現状ではやはり創価学会が最大の宗教勢力であるといっていいだろう。

では、何故、多くの新興宗教が分裂を繰り返す中にあって、創価学会だけが勢力を維持しているのだろうか?

そのヒントを探っていくと創価学会の出自、「僧侶ぬきの宗教」という点に求められるように思われる。

リンク

>そもそも日蓮正宗の在家の檀家(講)として出発した創価学会には、意外かもしれませんが、僧侶がいませんでした。葬式などの宗教行事では正宗から僧侶を招いて行っており、学会は主にお布施を集める収益機関という扱いだった。学会はこの立場に不満をもって、やがて第3代会長の池田大作のときに正宗からの独立を果たすのですが、これ以降、学会は戒名も授けず僧侶も呼ばない「友人葬」を実施するようになります。以後、宗教色が薄まって、利益団体としての性格が強くなっていきます。公明党が悲願の与党入りを果たしてからは、ことにその傾向が加速されました。

言い換えれば、創価学会というのはキリスト教におけるルターの「宗教改革」の仏教版なのだ。

リンク

>会員一人一人が仏法の知恵を養っている。だから誰でも布教に臨めるんです。ところが、誰かお坊さんが来てくれなければ、リーダーが来てくれなければ、となれば、その頼る気持ちから、また上下関係を作ってしまうわけです。ね、知らない内に。日蓮大聖人の教えはみんな仏ですから。御本尊は題目を唱える対象として、仏の命を引き出すというだけですから、だからブッダを信じるか、日蓮大聖人を信じるかで迷うのではなくて、私達が仏なんです。僧侶とか仏とか、捉え方からして違う。マルティンルターのように、破門されたのは、まさに平成の宗教革命なんです。

実際に、葬式を「友人葬」としている点において、非常に大衆的な宗教を体現しており、誰か一人の教祖を崇めるという傾向が実は弱い。従って、リーダーも牧口→戸田→池田と変遷しているが、教祖としてではなく、組織統合の指導者として(もっといえば教団の経営者として)尊敬を集めているというのが実態であろう。

他方、教祖の神通力に依存してきた団体は、かつては最大勢力を誇った神道系の大本系も、仏教系の霊友会も分裂に次ぐ分裂を続けている。
リンク

新宗教というと、統一教会にしろ幸福の科学にしろ、神がかりな教祖の存在が求心力を形成しているように思われるが、実は、創価学会はその逆をいっているからこそ、強靭な組織力を持ち得ているのだ。この創価学会の組織論は、注目に値すると思う。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=329357

シェアする

フォローする