クリスマス、12月25日ではないとの見解が有力に…キリストの誕生日は5月か

キリスト教シーズンが終わったら、神道・仏教シーズンへ突入する節操の無いニッポン・・・w

【 クリスマス、12月25日ではないとの見解が有力に…キリストの誕生日は5月か 】

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イエス・キリストが生まれた年を起点に、西暦は数えられています。聖誕の翌年が西暦1年とされていますが、西暦0年は存在しないので、キリストは紀元前1年生まれとなります。この「紀元前」を表すために「BC」という略称を使うことがありますが、これは“Before Christ”(キリスト以前)の頭文字です。紀元後を表す「AD」はラテン語の“Anno Dimini”の頭文字で、「主の年に」という意味です。「主」とはキリストを指し、「キリスト紀元」と訳すことができます。

 このキリストを境とすることは、ヨーロッパでは死後の世界でも重要な要素となります。イタリアの文豪ダンテの代表作『神曲』を読むと、ギリシャの大哲学者ソクラテスやプラトンも、多くの罪人たちと一緒に地獄で苦しんでいる様子が描かれています。彼らが罪を犯したわけではないにもかかわらず地獄に堕とされるのは、残念ながらキリスト生誕の前に生まれたので「洗礼」を受けていないからとなっています。

 そんな死後の世界にも大きな影響を与えているキリストの聖誕ですが、実際に生まれたのは紀元前4年というのが最近の定説になっています。誕生の様子は、聖書のなかの「ルカによる福音書」によると、母マリアが天使からお告げを受けて処女懐妊し、現在のイスラエル・パレスチナ自治区にあるベツレヘムで産気づいたが、誰も家の客間に入れてくれず、馬小屋で産み、飼い葉桶に寝かされたとあります。なんともひどい出産ですが、今ではこの日をクリスマスとして世界中でお祝いしています。

 ところが、クリスマスが12月25日というのも、疑問視されています。たとえば、現在のベツレヘムの天気予報を見てみると、今月25日の夜は7度まで下がるとの予測が出ています。中東であっても標高750mのベツレヘムの冬は寒くなるのです。聖書では、野宿をしていた羊飼いが、天使から「今日、あなたがたのために救い主(キリスト)がお生まれになった」と伝えられたとの記述がありますが、そんな寒い冬の夜に、羊を放牧するだけでなく野宿までするのはおかしいとの指摘もあり、最近では5月頃に生まれたとの見解が有力視されています。

キリストにまつわる“聖遺物”の数々
 そんな生まれたばかりのキリストが寝かされていた飼い葉桶の一部とされる木片が先月30日、クリスマスを目前にイタリア・ローマからベツレヘムに里帰りしたと報じられました。長さ2.5センチほどの小さな木片ですが、キリストの存在を示す貴重な“聖遺物”としてAD640年頃に、当時のエルサレム総主教がローマ教皇テオドルス1世に贈ったもので、これまでバチカンのローマキリスト・カトリック教会で大切に保管されていたのです。

 それが大きく動いたのは昨年のことでした。バチカンのローマ・カトリック教会を訪れたパレスチナ自治政府アッバス議長が、フランシスコ教皇に会うという歴史的出来事の際に、飼い葉桶の木片をベツレヘムに返してほしいと要請し、それに教皇が平和の象徴として応えたのです。中東戦争の原因となり、その後も紛争が絶えなかったイスラム教徒が大多数を占めているパレスチナ。そのパレスチナ自治区内のベツレヘムに、キリスト教徒にとって大切な聖遺物を送ったことは、単なるクリスマスプレゼントではなく、歴史的にも重要な出来事です。

ところで、こういった聖遺物はヨーロッパ中にたくさん散らばっており、実際に本物かどうかは、それこそ“神のみぞ知る”です。それは中世の考古学的検証がない時代に、イスラム教徒に占領されていた聖地を奪還するためにエルサレムに向かった十字軍兵士たちが、記念になる戦利品を手に入れようと、「この辺りが、キリストが十字架にかけられた場所のはずだ」とか、「ここで最後の晩餐をしたはずだ」などと適当に掘り、出土したものを「これはキリストの骨に違いない」「これは聖杯に違いない」といった説明を加えてヨーロッパに持ち帰ったものが、今では聖遺物として大切に保管されているのがほとんどだからです。

 聖杯の話が出ましたが、映画『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(パラマウント)のなかで、考古学者のインディがナチス・ドイツと争ったのは、キリストの聖遺物中の聖遺物である“聖杯”です。聖杯とは、キリストが最後の晩餐でワインを飲んだグラスで、十字架上のキリストの血も受け止めたといわれています。所有すれば奇跡を起こすことができるとして、今もなお世界のどこかに隠されていると信じられている、ヨーロッパでは誰もが知る大ミステリーです。

 この聖杯伝説を基に、ドイツを代表する作曲家ワーグナーは4時間半に及ぶオペラ『パルジファル』を作曲し、このオペラを上演するためだけに、ワーグナーに心酔していたバイエルン国王ルードヴィヒ2世に大劇場を建てさせました。そのような散財の結果、バイエルンの国庫は深刻な状況となり、国王は湖で謎の死を遂げてしまいますが、国王も“聖杯の呪い”に取りつかれたともいえます。そんないわくつきの『パルジファル』は、“聖槍”まで登場するなど、ミステリーのオンパレードです。ちなみに聖槍とは、キリストが十字架にかけられた際に、死んだことを確認するためにローマ兵がキリストのわき腹に刺した槍のことで、この槍を持てば世界を征服できるといわれていたのです。

 実は現在、聖槍はオーストリアのウィーンにて一般公開されています。ウィーンに持ち込んだのは、かのナポレオンです。しかし、聖槍を手にした彼の末期はみじめなものでした。南半球の絶海の孤島セントヘレナ島で、屈辱的な扱いを受けながら非業の死を遂げてしまいます。そしてその後、聖槍を所蔵していたオーストリアのハプスブルク皇室も、第一次世界大戦で終焉を迎えてしまいます。実は、これだけで話は終わらず、第二次世界大戦が勃発し、ナチス・ドイツのヒトラーが、聖槍を手に入れて世界を征服しようと奪い取ったのです。しかしご存じの通り、ヒトラーも滅びてしまうだけでなく、多くのユダヤ人を苦しめることになりました。聖遺物を悪用すると災いが起こるのかもしれません。

 さて、この飼い葉桶の木片ですが、これも本物かどうかは皆様のご想像にお任せしますが、ベツレヘムの聖誕教会のパットン神父は、返還された木片について「今から2000年以上も前にベツレヘムで聖母マリアのもとに神の御子が生まれたということを、私たちに思い起こさせてくれるゆえに、われわれはこの聖遺物を崇敬します」と語り、人々を感動させました。そして、この聖遺物の返還を、クリスマスまで幸せに祝うそうです。このベツレヘムの教会は、僕も訪れたことがありますが、キリストが生まれたといわれている場所が地下にあり、クリスマスに向けて毎年、世界中のキリスト教徒たちが集まるのです。

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