食べものを安易に残すということ…思えば肉食も菜食も所詮飽食世界の中でぐだぐだ言っているにすぎず、社会毒もリスクマネージメントや健康に関しては重要ですが、食べるということの原点はほかの命を奪っているということです。

食べものを安易に残すということ
  
社会毒を食べる食べないとかいうこと以前に重要なことは、生き物を食べているという自覚であり、食べ物を安易に残さないということです。
  
しかし講演で懇親会などをやっていても、平気で残している人のオンパレードであり、その参加者たちは食や医療やその他の問題を認識しているらしいから、始末に困ります。
  
随分以前になりますが、いのちの授業でもジャンクでもないかなり良い食材、かなりオイシイ料理もけっこう残っておりました。
  
最後に残っていた焼おにぎりのあんかけで、タッパーを出動させて二次会にもっていきましたが、こういうのってどこでもみかけるんですよね。
  
思えば肉食も菜食も所詮飽食世界の中でぐだぐだ言っているにすぎず、社会毒もリスクマネージメントや健康に関しては重要ですが、食べるということの原点はほかの命を奪っているということです。
  
肉はかわいそうとか言いますけど元から勘違いしているのではないかと思います。 私は食に関して指導となった時は、植物や野菜やキノコは食べられる時に悲鳴をあげ、断末魔の叫びとともに食べられていると指導します。よく植物は食べられたがっているとかいう人いますけど、どこまでヒューマニズムの迷惑生物なのだろうと思います。
  
食べるなってことではなく、生きていくためには人間は殺すことしか認められておらず、自分たちも生に執着しすぎず死ぬ事はどんな食育などよりも重要な視点です。
  
だからジャンクフードだって食べたい人は食べればいいとよく言っています。治りたいとか健康でいたいとか言う人間が食べるとかアホじゃないと言っているだけ、要するに自分の健康と病気にすべて自己完結できれば、別にその人が何を食べようが死のうが自由だと思います。
  
子どもは選択権があまりないのでもう少し守られてもいいでしょうが、食べ物や生活を考えない人に限って病気になってからさらにテンパり、やってきた責任と選択を直視しません。  
  
私は自分が健康に対して無頓着なので、危険といわれるものでも食べることがありますが、それはわかっていて食べているだけ。事実を知っているのと事実に従うのは別であり、食よりも重要なのは個人の選択であり、自分で帰結できるかということ。
  
それが私がいつも言っているクレクレ君とか、ジャンキーの思想、依存症の思想に通じます。食べ方よりも重要なことは生き方の問題です。

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