動物愛護・・・人間が提唱する動物愛護、それは生物にとってはそもそも余計なお世話であり、得られるのは当事者の幸せではなく周囲のご満足だけかもしれない

動物愛護
 
人間が提唱する動物愛護、それは生物にとってはそもそも余計なお世話であり、得られるのは当事者の幸せではなく周囲のご満足だけかもしれない。
これはむやみに動物を殺せと言っているわけではない。
しかし動物愛護の考え方は、人が人を殺していることも、動物が動物を殺していることも、動物が動物を食べて命をつないでいることも、全て直視しない上できれいごとを並べているに等しい。
それよりも私たちは生物として生物に準じているかを考える必要がある。
 
動物を殺すのが、動物を食べるのがかわいそうだというニンゲンたちは、植物を殺すのは、植物を食べるのはかわいそうといわねばならない。
それは動物であれ植物であれ本来栽培されるものでさえないはずだ。
ちょっと前に岡本さんが農耕が世界で最も地球を破壊していると書いていたが、私はまさにその通りだと思っている。
しかしそれでも人類は農耕が必要であろうし、その中でどうしていくかを考えなければならない。
とすれば最悪を排除する形での動物愛護とは一体何なのであろう?
生命の輪廻を知れば人類は食物連鎖の上位にあるので、我々人類はそれを殺して食べる代わりに、自分はさっさと死なねばならない。
栽培して生き延びたり愚かな延命処置をするでなく、生物の理論に従って死ぬ時が来たら土に帰らねばならない。
それが子供のころから教わってきた基本中の基本であり、だからこそ我々は生命を殺して食べることを許されているかもしれない、と考えられるかどうかだ。
所詮私は無駄な動物の殺傷はやめてほしいと考える程度の、普通にエゴイスティックな人間であることは自覚している。
 
あなた方が三食を二食にするだけで動物も植物も食べられる量は2/3になるだろう。
あなた方が手作りをして自分たちが食べるものだけを食べ、加工食品を買ったりコンビニやスーパーやデパ地下で買うのをやめるだけで、不要な廃棄がなくなり動物や植物の死は激減するだろう。
あなた方が食べるものに気を付け医者にかからなければ、クスリを作るための不要な動物実験は激減するだろう。
そしてこれらの動物に対する扱いは、実はお金持ちたちが市民に対してやっている扱いと同じであり、人間の親が子供に対してやっている扱いと同じであ り、動物の飼い主がペットに対して行っている扱いと同じである。
 
一介の虚無主義者でペシミスト(悲観主義者)に過ぎない私だが、少しだけ地球共存について考えるようになった。
まずはエゴといわれようがなんといわれようが結構だ。
不要な人間の死と動物の死と植物の死を防げば、この地球は治療されていることと同じことになり、土はよみがえり自然は復活し結果的に人の病気も減るだろう。
ヨーロッパの国の中にはペットはいてもペット産業のない国がある。
動物虐殺を繰り返し続けてきた欧米人に言う資格など本来ないのだが、彼らにさえ及んでいない自分たちを自覚することが今の日本人には必要だ。

参照:https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=730235910798332&id=100014357893194

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