42歳男性が「ステージ4のがん」でも転職 週1回は治療のため平日に休み

36歳でステージ4のすい臓がんと診断された関直行さんの家庭、仕事、生活とは…

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毎年約5.6万人――18歳以下の子どもがいて、がんと診断された人の数だ。東京ドーム球場の収容人数5.5万人を上回る。だが、働き盛りでがんになった人の声を聞く機会は少ない。仕事や生活上で、どんな悩みがあるのか。

子どもがいるがん患者のコミュニティーサイト「キャンサーペアレンツ」の協力を得て取材した。今回登場するのは、ビル管理会社に勤める関直行さん(42歳)。彼は36歳のとき、ステージ4のすい臓がんと診断された(「ステージ4」とは、他の部位への転移がある状態のこと)。

会社とどんな交渉をして、職場に復帰したのか。なぜその後転職を決意し、どうやって実現させたのか。そこには病気に限らず、どんな困難に直面しても行動で打開し、自分の成長につなげるためのヒントがある。

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治療と業務内容を両立するための時短勤務案
厚生労働省委託調査(2013年度)によると、がん発覚後に会社と復職交渉もせず、退職を申し出る依願退職者が約3割、というデータがある。「もう人並みに働けない」とか、「会社に迷惑をかける」と、弱気になる人が多いためだろう。

一方、関さんは2013年11月、ステージ4のすい臓がんと診断された。がんの中でも治療が難しいとされるすい臓がん。しかもステージ4なら誰でも気が動転してしまいそうだが、関さんは違った。

検査・手術と続く約2カ月間の入院中に、現実を受け止めて頭を切り替え、会社との復職交渉を考えていた。

ビル管理会社に中途入社した関さんは順調に昇進。当時はパート社員約600人を統括する、管理職としての権限と責任を与えられていた。1日の平均睡眠は4時間で、土日出勤もいとわず、深夜の緊急連絡にも対応してきた。

「集中治療室から一般病棟に移ると、仕事を少しずつ再開しました。まずは部下への電話連絡で近況の確認。その後はメールで見積書や報告書などを送ってもらい、細かな数字の修正などを指示していましたね」

色白の関さんは当時を淡々と振り返る。

仕事は続けたい。だが、復職後は従来のようには働けない。そこで関さんは、翌2014年1月の職場復帰を前に、2点を軸に「慣らし運転」を決めた。

・体調を無理によく見せようとしない 

・だが、慎重になるあまり勤務形態のハードルを下げすぎない

会社には、治療と業務を両立するための時短勤務案を提出した。主なポイントは以下の4つ。

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① 治療や検査、抗がん剤の副作用がつらいため、毎週平日は1日休むこと
② 術後の体力低下や、抗がん剤の副作用が強いために通勤電車を避け、午前中は2時間の時差出勤を希望すること
③ 残業なしの時短勤務
④ 給与の20%減額

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会社にはがん患者が治療しながら働ける制度も、過去にがんで職場復帰した前例もなかった。だが、会社側は関さんの提案を快く承諾した。

もはや「ステージ4=末期がん」ではない
関さんのようにがん、しかもステージ4と診断されても、働き続ける人が増えているという。その背景にはがん医療の進歩がある。

がん専門医で、治療解説のユーチューバーでもある押川勝太郎さん(54歳)は、「医療現場では『ステージ4=末期がん』とは言いません」と指摘する。

がんの標準治療(成功率が最も高い治療)は、手術と放射線と抗がん剤の3つ。しかし、がん細胞が広がりすぎたり、他の部位に転移していたりすると手術で取りきれない。その状態が「ステージ4」だ。

「最近は抗がん剤の進歩もあり、投与でがん細胞が小さくなるか、逆に大きくならなければ、ステージ4のすい臓がんでも働けます。抗がん剤の副作用を抑えながら、治療と仕事を両立する方も増えています」(押川医師)

だが、治療しながら働けると言っても、関さんはすでに失った臓器も多い。

すい臓の3分の1と胆のうと脾臓(ひぞう)、胃と十二指腸の一部まで切除した。12時間以上に及ぶ手術により体重は20kg以上減少し、体力低下は著しいものだった。

「抗がん剤の副作用で、今も全身のしびれに終日悩まされています。手は冷たいものが触れなくなり、足は正座を1時間した後のようなしびれですね。それによって転倒する危険があり、階段の上り下りにはつねに細心の注意を払っています」

そう話す関さんとは4、5時間の取材を2回重ねたが、その状態で柔和な笑顔を絶やさず、いつもテンポよく、淡々と質問に答えてくれた。

国立がん研究センターの最新統計(2019年8月8日更新)によると、2009年から10年にがんと診断された、患者の5年相対生存率は男女計66.1%。過半数をゆうに超えている。

一方で、「がん=死」の先入観は相変わらず根強い。確かに、部位などによっては5年生存率が低いがんもある。関さんが罹患したすい臓がんの5年生存率は9.6%である。しかし、がんの部位や種類、ステージによっては、生活の一部として「付き合っていく病気」に近づいているのも事実だ。

それは治療の長期化を意味するため、治療費がかさむ可能性がある。だから会社を簡単に辞めてはいけない。関さんのように治療と業務内容のバランスをとりながら、働き続けられる方法を会社と交渉したほうがいい。

直属の部下3人の退職、さらに降格辞令が下りた
ただし、会社との交渉がうまくいっても、その状況が長く続くとは限らない。関さんが復職してからの半年間で、直属の部下5人中3人が退職。その穴埋め業務が、治療中の関さんの両肩にのしかかった。入院治療で彼が不在だった約2カ月間で、部下たちはかなり疲弊していたからだ。

障害や疾患が外見ではわからないことを示す、ヘルプマークを通勤カバンに携帯する(著者撮影)

(写真:筆者撮影)
関さんは復職3カ月後には時差通勤も時短勤務もなくなり、抗がん剤治療中なのに、勤務実態は入院前に逆戻り。以前の体力とは程遠いのに、だ。さらに1年後には、売り上げ規模が小さい支店への異動と降格を命じられた。

「病気をしたことで、その後の出世の道が閉ざされることは、一般的にも多いと思います。私も面接や人事に携わっていたので、会社側から見れば、ある意味、妥当な判断だとも思いますし……」

会社側と一社員の立場、関さんはつねにその両方の視点で冷静に話す。だが同時に、今の会社で働き続ける限界も知った。そもそも治療しながら働く制度もない会社で、自分は20年後も今の働き方を続けられるのだろうか、と。

その頃、新しい家族を授かることがわかった。2人目の子どもが生まれる以上、会社中心の働き方を見直してほしい、と妻は迫った。長女は当時まだ7歳で、関さんの体調への心配も言いふくんでいる。

妻の要望と気遣い、職場での降格と異動。その現状を打開する方法が、関さんにとっては転職であり、家庭中心の働き方に変える決断だった。

「病気を経験して、リアルな死を身近に感じた分、3年経っても元気なことで、どこか怖いもの知らずになっていましたね。退職しても、なんとかやっていけるだろうっていう、変な自信があったというか……」(関さん)

死を身近に感じることは、関さんのように楽観的になる以外のプラス面もある。健康な人と比べると、自分にとって何が本当に大切なのかという見極めも、今日1日のかけがえのなさも、切迫感がまるで違ってくる。

関さんは実際に「怖いもの知らず」で転職まで実現させた。退職前に有給休暇を使い、あいさつ回りで以前の取引先を訪れたところ、履歴書を人事部に送ってと誘われた。退職後は、ネットとリアルの人材紹介会社にも登録した。

転職については、病気のことを明かす必要がある。しかも、自分のキャリアを考えれば、関さんには転職理由を聞かれるのも予想できた。勤続15年で40歳。しかも2人目の子どもが生後3カ月、というタイミングなのだ。

「元取引先での役員面接でも、当然その質問が出ました。私は正直に『今後15年、20年と、仕事より家庭中心で働いていきたいからです』と答えました。それで不採用なら仕方ありませんから」(関さん)

「嫁の思いどおり?」の転職で手に入れた幸せ
過去の仕事ぶりや実績か。あるいは、その率直さが評価されたのか。答えはわからないが、関さんは元取引先に転職した。現在は抗がん剤治療で週1回は平日に休み、出勤時は定時に退社する働き方を続けている。

「患者仲間の間では、『がんがわかったら、会社は変えないほうがいい』と言われています。転職はうまくいくという保証もなく、リスクが大きいですから。私の場合は、珍しい事例だと書いておいてください」(関さん)

だが、世知辛い世の中で、関さんががんであることを明かし、家族にとってよりよい働き方を求めて、転職まで成功させた事実は少しも色あせない。

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参照:https://news.livedoor.com/article/detail/17305653/?fbclid=IwAR2bclKr_bUDqylbjcmXxpTH9yx-8itdHPJrfm1DIOfcawExWnuU8i7GFkQ

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