金正恩の母親は横田めぐみだった。金王朝の “深い深い謎”

金正恩の母親は横田めぐみだった。
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以下引用・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
◆2010/12/22(水) 金王朝の “深い深い謎” -39-

『受胎月 確定!』
皆さん、こんにちは。飯山一郎です。
さて、お約束どおり…、
「金正恩の母親は横田めぐみさん!」
このことを証明していきます。
まず、諸説ある金正恩の誕生日を確定しなければなりません。
諸説とは、1982年、1983年、1984年と3説ありなす。
で、北朝鮮政府は1982年と発表するはずですが、私は1983年にします。
根拠は、藤本健二氏の最近の著書、『北の後継者 キム・ジョンウン』です。
このなかに、次のような描写があります。

1993年のある日の食事後、将軍が突然、干支(えと)の話を始めた。
高英姫夫人に「おまえは1950年だから寅だな」と言い、
ジョンウンには「1983年だからメテジ(亥)だな」などと話したので、
生年が初めて分かった…。
(つぎに将軍は幹部たちの干支を訊いていった。)
「藤本は?」と訊かれたので、ジョンウン王子のほうを向いて、
「私は大将同士と一緒のメテジ(亥)です」
と答えた。するとジョンウン大将がとても嬉しそうな顔をして、
「藤本と一緒だね」と腰を上げ、手を伸ばしてきた。
このときの握手はいまも忘れられない。ジョンウン大将と自分だけが同志になった
ように感じたからだ。
この藤本証言は、真に迫っています。採用しましょう!
ということで、金正恩の誕生日は、1983年1月8日(亥年)。
ということは、金正恩の受胎日は、1982年3月~4月のある夜?
さぁ、1982年の春、横田めぐみさんが、どこで何をしていたのか?
この頃、横田めぐみさんは、金正日総書記と逢えるような立場・境遇にあったのか?
もし、拉致者収容所などに収容中であれば、二人が会うのは無理でしょう。
実際…、
北朝鮮側は、「横田めぐみさんは田口八重子さんと84年まで同居」となってます。
これでは、二人が会うことはチョッとむずかしい…。
ところが!
「田口八重子さんは81年7月から83年3月まで、金賢姫と同居していた(金賢姫証言)」
と、北朝鮮側がウソを言っていたことが分かってきます。
ウソを言うのは、何かを隠すためです。
北朝鮮側は、いったい何を隠したかったのか?
ともかく…、
これで、横田めぐみさんは(「受胎日」の頃は)フリーだった! ということになりました。
で次の難問。
この期間に、二人は逢えたのでしょうか?
逢えないと、そして、逢わないと、“受胎”できませんから…。
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http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=334812

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