監視と予測がされているFacebookは、薬物依存と変わらない

監視と予測がされているFacebookは、“薬物依存”と変わらない。
”パチンコ”や“スロットマシーン”も、激しい音と光に併せ、努力しないで快感や景品・金が出ると言う仕組みで脳内麻薬が出る。
酒やたばこも脳内麻薬で現実逃避の道具になるが、酩酊や煙は限度がある。 その意味では、SNS依存やギャンブル、そして麻薬・薬物は限度が無いし自分で止める事ができないでどんどん量が増える拡大系と言う意味では、制御を失った原子炉である。
 自分が望むものが表示され、それを嬉しいと思い、広告や動画のクリック、FacebookやTwitterのタイムラインの更新を繰り返す・メッセージでリアクションを得るという流れは、一般的な使い方ではスロットマシーンと変わらないし、スロットが当たりを引く時の音が連続的に聞こえ、瞳孔が縮小・散大するという薬物の症状と変わらない。 子どもの嵌るネットゲームやyoutubeも誘導が入ってる時点で同じだ。
 ソーシャルメディアおよびSNSをスロットマシーンや違法薬物に例えるのは、人によってはオーバーに思われるかもしれないが、利用する者に対して監視と予測が行われ、CMで収入を得ている商売なのだから、信奉を集め中毒にするのがそれらの業者の目的。 それは元締め(広告を出す大企業や政府)の利益につながる事の為にFacebookやtwシステムがある。 テレビやラジオの場合は不特定多数という縛りがあり、そこでは中毒性が育めないのは事実。 自分がどんどんハマっていく事で回りが見えなくなり、監視資本主義の考えにおける、個人(のデータ)を奴隷として“商品”に自分からどんどん提供する。
 それを正当化して、自己顕示欲や他者と繋がりたいという生物学的な欲求を焦らされるようになっている。
人類はずっと共同体で暮らしてきて、その繋がりへの欲求を満たしてきた。だが、満足されたらそこで終わってしまうので、永遠に前戯だけである。
それが、読みもせず瞬時に“いいね”をやりとりであって、偽の他者とすぐに繋がれた感である。このように作られたソーシャルメディアおよびSNSに、あなたを中毒にさせる為に造られたのだから麻薬なのは当たり前のことである。
内容も読まず、xxさんだからとすぐに人の話を信じてしまう人は素直な人、純粋な人という好印象がFacebook社が求めるスタイルだ。それが、人の話を鵜呑みにして自分でよく考えない人、詐欺や胡散臭い話を見抜けず騙されやすい人と無知の闇に沈んでいく「悪」の正体でもあるのだが、動画スパムウイルスに引っ掛かっても「てへべろ」で済ませるのがマナーとなった。
もちろん、本来の純粋さ素直さは大切ですが、SNSでそれは「おはようオジサン」「インスタ映え外食料理フォトお姉さん」で終わる。ただ純粋なばかりで嘘を嘘だと見抜けなかったり、信じ込みやすく騙されやすい自分の性格について何の対策を立てないまま忖度と他人に迎合だけで無難に暮らすことが安全と言う結果が太平洋戦争だった。
人は十人十色で、ある意味誰一人として「あなたと同じ意見」なんてそもそもあり得ない。
季節を感じる事だろうと政治だろうと、フィードされる誰かの投稿には「共感できるもの」があるなら「いいね!」だろう。
だが、相手が友人と呼んでくれているなら、本来「付加価値のある情報返礼」が基本だ。 良い投稿を見たら、相手がそれを造るのに使った時間や労力以上の「コメント」や「より良い投稿を造って返す」が基本であろう。
人はそれぞれの経験があってそれをお互いにリスペクトするから「友人」なので、相手が「機械が得意」で「へぇありがたい」と言うTIPSな投稿をくれたなら、あなたが自分の得意な「料理」でのTIPSで返すのが本来のあり方だろう。
自分がより年長者なら、その矜持を持って相手の見えてない所を教えてあげる。 
間違えがあれば、相手の面子を人前で潰さぬようメッセージでそれを教えてあげる。 これらも当然だろう。
こういう、普通に一緒に居て情報交換をしている社会ならできていたことが、SNSでは逆に
見て徳をするだけ 返礼しない と言う喰い逃げ社会を普通にしている。
実社会でそれをやったらたちまち村八分・スポイル・縁切りされるのに、匿名性を盾にしてそういう友人になってはいないだろうか?
食い逃げして、問題指摘や政治的話題などリスクを伴う発言をせず、先行きの見えない信じたいものばかりを信じて生きていければ、見たくないものを見ずに楽に生きていけるので一見「幸せ」かもしれません…。 ですがそれは人・人間ではありません。。。
そういう人は、SNSで訓化されそういった信じたいものばかりを見る特徴を持った人を相手にした商売(マルチ商法、スピリチュアル系、「副業で楽に儲かるよ」「不労所得が手に入る」などの情報商材ビジネス)のカモにされて最終的には忖度社会で茹でガエルになって終わる。学習や対話から逃げて、言いたいことだけ言って、意見が違うと逃げる。。
快楽だけ追い求めて信じやすいアバターは、慾望を操られて奴隷以下ととなった何かであって社会人とは呼べません。
とくに、胡散臭い政治やビジネスをしている人は、いかにしてカモにお金を出させるかという目的で、年季や心理学を熟知して悪用している人も多い。 落伍者や堕落した人や胡散臭い人からすれば、まさにFacebookで慾望に足を取られて沈んでいくのを見るのは楽しいことです。 人を操る催眠術か洗脳術に引っ掛かっているのを認知できないのは、それはもう認知症です。
●他人に気に入られたい
たくさんの人から気に入られたい
自分が尊敬している人から好かれたい
小学生になったら♪ 友達100人できるかな???など、他人から見た自分をよく見せたい気持ちがメルトダウンすると、純朴で純粋で素直な自分であれば他人から「いい人」だと思われる確率が上がると考え、進んで他人の話を素直に信じこむ癖がついてしまうことがあります。もちろん、他人から気に入られたりいい人だという評価を得ようとすること自体は誰にでもあることです。
しかし、どうして他人から気に入られたいのかを詳しく見ていくと、結局は自分への自信のなさがあり、自信がないからこそ世間から認められている人や組織(=権威のある存在)に気に入られる事(=権威主義)に重きを置いているのだと考えられます。
パートナー・家族・会社・それら全てのラベルが擦り切れて、日本人であると言う箔だけが残ったのがネトウヨさん・・・
何を見ても文句だけ言うのがパヨパヨさん??
それらは結局自分に自信がないから他人にすがりたい思いだけ。
自分の考えや主張に自信を持ちにくい。漠然とした自己不全感や自分に対する不信感を抱いているからこそ、それらを払拭するために自分以外の誰かが話していたことを信じ込み、自分の自信の無さから目を背けようとするのです。
何か言われると内容以前に自我崩壊してパニくり制限・知り合い設定、ブロックに削除。。。
とくに自分のやることなすことに対して自信を持ちにくい人は、そんな頼りない自分の背中を押してくれるような優しい言葉を言ってくれる人や甘くて柔らかい優しい?言葉だけを待ち望んでいることが多いものです。
自分一人では中々行動に移す自信が持てないからこそ、他人からの暖かく優しくポジティブな助言(「あなたなら大丈夫」「必ずうまく行く!」など)を聞けば、半ば藁にもすがるかの思いで信じ込んでしまうし、その場合、絶対に行動には移さないのです。
ただし、そもそも自信のない自分と向き合うことを避けて、他人からの助言という無責任極まりない言葉を信じ込んで衝動的に行動している節が「マスク」とか簡単にできること。 問題がある発言でも否めず、信じて進んだ行動が本当に自分の利益になるのかどうかという点には疑問が残ったまま実社会での行動は無限忖度となったのが現代日本と言う惨状。
・権威主義的、権威に弱い
自信がないからこそ、「有名人が言っていた」とか「国や自治体のお墨付きである」という権威があるものに対してすがることがあります。「有名人が言っていたから正しい」「国や自治体のお偉いさんが発表しているのだから間違っているわけがない」などの権威ある存在に対して無批判に受け入れてしまう態度をとり、必死にどこまでもそれに縋ってしまうのです。
例えば、健康食品の紹介でよく見かける
「某国立大学の教授が監修!」→ 国立大学教授という権威ある存在が裏にいることで商品の効果・効能の説得力を強化させる。
「海外のセレブも愛用!」→「流行の最先端である、海外のセレブが使っているというネタが説得力を強化させる。
などの宣伝文句も中にも、権威を感じさせる言葉が散りばめられていることが多いものです。
同じで、総理が言った・大臣が言った・・・
それは健康食品の多くと同じで、なんらかの健康増進効果を期待させるであろうことを商品の紹介に含めることが消費者のハートをつかむためにもかかせないものです。
30万でも10万でもばらまきがあればOK。
強盗キャンペーンでもお上が掲げればOK。
しかし、ただ商品の写真や栄養素などを羅列してばかりではハートをつかめないことは容易に想像できるため、「某国立大学の教授が監修!」「海外で普通、米国のトラさんが!」などの、権威ある人の言葉を用いて商品や誘導の説得力を高めるのです。
たしかに、全く無名の凡人が勧める健康食品よりも、大学や海外セレブのような後ろ盾や知名度のある人がオススメしている健康食品の方が効果がありそうに感じるものです。
しかし、「権威がある=本当に効果がある」と信じることについては疑問が残ります。
さきほどの健康食品の例で考えると、健康への効果が期待されるかどうかには大学教授や海外セレブなどの権威ある存在よりも、食品に含まれている成分や栄養素の方がメインのはず。
しかし、信じ込みやすい人は全く目が「なぜ効果があるのか」よりも「どんな効果があるのか」そして「その効果はどんな立場の人が言っているのか」ばかりを見ている傾向があります。
もちろん、信じこみやすい性格だからこそプラシーボ効果(偽薬効果)が働き、実際に効果があると感じているのかもしれませんし、権威ある存在が後光のように全てを良く見せる(ハロー効果)ために信じやすさを促進していることも考られますが、いずれにせよ食品の成分は二の次である点には変わりはありません。
・ハロー効果のメリット・デメリット
普段生活している中で、 美人orイケメンに生まれさえすれば仕事も恋も順風満帆だと思ってしまう 高学歴の人は何をやらせても上手と考える。 それが(下僕の一種である)公僕の官僚を「東大出」と仰ぐ心です。
国立大学とは、私立大学に行く財力が無いのが税金で恵んでもらい勉強させてもらう場所なのに、既に世界レベルで下位の東大京大筑波大をあがめるなどただの新興宗教。
・責任を回避したい、リスクに敏感
自信がない、権威に弱いことにつながるのが、責任を回避したい、リスクに対して敏感に感じていることです。
権威にすがってせいでもしも失敗や責任を負う状況になったとしても、「私は悪くない、悪いのは権威のある人や組織のせい」だ、と自分で選んだことを棚に上げて責任転嫁をすることは容易です。
それを利用したのが、原発を担いだ国民の癖に責任転嫁を政治家に追わせること。
アベヤメロを心地よいBGMに、無責任体質を利用したのが彼。
また、権威のものには往々にして他の人の集まって賛同していることが多いために「他の人が集まっているからこそ正しいに違いない」というバイアスがかかります。 騙される奴、頭の悪い奴は悪です。
なのに、騙した方が悪いと声を限りに叫び続けるだけと言うお粗末な国にいったいいつからこの国はなってしまったのでしょうか。
同時に「もしも、たくさんの人が皆失敗したとしても、失敗して損をするのは自分だけではない」という集団心理が働き、リスクに対する精神的な苦痛を和らげることも期待できます。それが(安倍氏風口調での)「まさに」赤信号みんなで渡れば怖くないというブラックジョークと同じ。 たくさん人が選んでいるのだからこそ、自分が選んだ人・物・情報は間違っている可能性は低いし、仮に間違っていたとしても自分一人だけが貧乏くじを引いているわけではないので安心感を得やすい…という責任回避およびリスクに過敏な心理が、信じやすい性格の一因と考えられます。 それを民主主義と信じているが・・・それは単なる衆愚政治・村・烏合の衆です。
・人は群れると馬鹿になる「集団心理(群集心理)」で起きる行動の特徴について
集団になると調子に乗ってしまったり、常に誰かと群れていないと不安を感じることは、集団心理(群集心理)が影響しています。集団心理はとても恐ろしく、いじめやデモの暴徒化を招く原因とも考えられてます。どんな人でも集団心理に飲み込まれて、普段ならしないようなバカみたいな行動をしてしまうのが集団心理の問題点とも言えます。
・「自分にとって分かりやすい=正しい」と感じてしまう
健康食品のパンフやホームページ(ランディングページ含む)をよく見ると図・グラフ・写真を用いて複雑な情報は詳しく解説している。
はっきりと読みやすいフォント(ヒラギノフォント、明朝体など)やアンダーラインを引いたデザインになっている。
白を貴重とした背景で、淡い色使いで統一されている。
など、いかにも健康効果がありそうな分かりやすく読む人を包み込むような温もりを感じるを感じるデザインで、読む側もストレスなくすんなりと理解しやすいであろうことは容易に想像できます。
難しい事、怠惰と無知の闇に囚われて、頭の良い(正義の人)は解り易く説明するとか、短い言葉で説明できると言って、自分の責任を問われる思考が必要なモノ全てを理解する一歩から拒絶する。
このように「ストレスなく理解しやすい」事柄に対して、人は無意識のうちに「正しい」「効果がある」と解釈してしまう傾向があります。このことを認知的流暢性と呼び、シンプルに言えば「分かりやすいから信じる」という(身も蓋もない心理)のことを指します。
認知症の老人が、自分の物忘れを「幽霊が来た」「泥棒が来た」と言うのと同じです。
信じ込みやすい人は、無意識のうちに自分にとって「ストレスなくすんなり理解できること=真実である」と結びつけていることが考えられます。
なお、健康食品一方で、肝心な効果・効能に関する注意書きなどは隅っこのほうに小さく書いてあったり、最後のペーや別のページに申し訳程度に書いているという、なんだか不自然で作為的なデザインが隠せていないことも多々あるものです。
認知的流暢性を踏まえて考えると、どうしても回りくどい説明や文字ばかりの短調でストレスを感じる内容だからこそ、せっかく買う気になっている人の気持ちを削がないためにも、ストレスを感じやすい類の情報は目立たせないようにしたほうが売り上げに繋がるという戦略が隠れているのだと考えられます。
・なんでも「信じたい」から信じる
これまた身も蓋もないことですが、「信じたい」から信じる…という理由ですぐに信じてしまうのです。
例えば占いの場合、自分の運気上昇や「きっといいことがあるよ」的なポジティブな結果が出たとしたら、それを素直に信じ込めば幸福感を味わうことができます(実際に幸福が訪れる方角からは明後日の方向なんですが・・・)。
もちろん、占い以外でも
信じたいスキャンダルや噂話があるから、フェイクニュースやソースの怪しい情報でも信じ込む。
ギャンブルで勝つことを信じたいからこそ、勝ちそうな情報やネタに対して飛びついて信じ込もうとする。
なども、自分が信じたい情報や未来を意図的に選んで、無批判に信じ込んでいることが多いものです。これは、確証バイアスに通ずるものとも言えます。
・信じやすい性格と単純接触効果
「自分にとって分かりやすい=正しい」で触れた認知的流暢性は、恋愛や営業職でよく使う単純接触効果とも関連があります。
一般的には単純接触効果は
「人間は何度も顔を合わせる人と親しくなる現象を指す心理学用語」
として有名です。
しかし、単純接触効果の対象は人間だけでなく、言葉、情報、物なども含みます。
信じ込みやすい人は、単純に何度も合っている人だからといって親しみを感じて話を信じているばかりではなく、自分の住んでいた地域の方言があったりやローカルネタだから信じる。
ネットで何度も見聞きしているニュースや噂話だから信じる。
よく使っている人を見かける商品だから信じる。
と言った、ストレスなく受け入れることができる言葉、情報、物に対して好ましさを感じることで信じ込んでしまうのだとも考えられます。
ただし、この好ましさはあくまでも錯覚(誤帰属)であるというのが重要。
この好ましいからこそ、なんとなく正しい、効果がある、親近感が沸くという錯覚こそ単純接触効果であり、錯覚であるがゆえに詐欺や胡散臭い方々が利用しやすい心理学のテクになっている節は否めません。
よくある「信じる人は(足元を)掬われる」のは、単純接触効果(=錯覚)もそうですが、分かりやすいから信じてしまうという自身の単純さが原因となっているのかもしれません。
若しくは、自分の責任回避の為に「自分の枠を定義」することでその偽の安住の地にしがみついているだけでしょう。
これら全てが、結局は現実と乖離した夢遊病。 酒麻薬に依存と逃避。
それを促進する倫理崩壊はどなた様の親も教えてないはず。
エディプスコンプレックスがあっても反面教師としてであれ、そこは我慾はいけないと教わったはず。
今日はあなたは誰の何に目を瞑り、誰を忖度しましたか?
流されてどこへ行くのですか??

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参照:https://www.facebook.com/takashi.marui/posts/3512216175529083

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