感染症と検査の現場から西村秀一医師が訴えるリンク
PCR検査は病人の診療において、診断を補助するためのツールとして使われてきた。新型コロナウイルスに感染している無症状者を見つけ出し隔離をするというのは本来の使われ方ではない。しかも、経済を回すために導入すべきだという極端な主張が、一部の医学者、経済学者、マスコミで展開され、検査結果が100%保障されるものではないにもかかわらず、PCR検査の拡大が声高に叫ばれている。
■リスクのない小学生を隔離し学校は休校に
検査として大事なのは、条件反射的な白黒判定ではなく、対象者のデータの冷静な解釈だ。まず、すべきことは、その値に再現性があるか、またその子の鼻でウイルスが増えているかどうかを、翌日再検査で確認することであって、休校にすることではなかった。なのに、その子も家族も周囲から白い目で見られ、他の子どもたちも勉強の機会を奪われた。
そもそもPCR検査はウイルスの遺伝子であるRNAを増殖して見るだけのものだ。不活性のウイルスの残骸でも捕まえてしまうことがある。濃厚接触の中で感染性のないウイルスに手で触れてたまたま鼻腔をさわっただけでも陽性になりうる。検査は機械や資材があれば誰でもできるわけではなく、きちんと評価する仕組みがないと結果を誤る。
■低い感度、バラバラな基準で「やってるふり」
検査の方法によって判断基準がまちまちだということ。これから大きな問題になる。今までは国立感染症研究所のマニュアルに従って、地方衛生研究所が反応のサイクル数やコピー数を見ている。だが、最近は反応時間を早くしたとか、人手のいらない全自動とか、事前にRNA抽出の操作が要らないというシステムも使われ始め、これから大量の検体処理のため広まることが予想される。しかし、このシステムでは白か黒かの判定しかなく、ギリギリのところの判断で偽陽性や偽陰性が起きていることに気づかない。基準の問題でいえばPCRを増やせという人たちが、よく外国での件数例を挙げる。確かに中国の各都市では今、無症状者を含め何万人単位で検査しているが、これは10人分の検体を1つにまとめて1回のPCR検査をやっていると聞く。陰性なら10人が陰性となる。そうなると1人あたりの検査に使われる検体量は10分の1になり、感度を10倍落としての検査によって陰性と判断しているということになる。
しかし、こうした簡便な方法をどんどん進めると、検体の劣化も含め、1人ひとりの結果を慎重に見るのではなく、単なる「やってるふり」になっていく。■ゼロリスクは机上の空論、うまく付き合うしかない
「検査して隔離」は、致死率が高く感染が広がりにくい病気では有効と思われますが、新型コロナのように感染が広がりやすいけれど重症化リスクや死亡リスクがあまり高くないという感染症には適さないのでは?今の「恐れすぎ」は公衆衛生として必要な範囲を超えている。「恐れすぎ」が蔓延して、ゼロリスクを求める動きにつながっている。「検査して隔離」は「恐れすぎ」による思慮を欠いた発想だ。完全にゼロリスクにすることなどできない。
ゼロリスクを追求するあまり、学校では入学式や卒業式もまともに行われず、再開しても、運動会も学芸会もない。子どもたちの思い出はどうなるのか。歌のない音楽の授業や、実験のない理科の授業、昼食の間はおしゃべり禁止だ。会話を楽しみながらの昼食も食育だろう。ボールや机のアルコール消毒など、先生たちも疲弊している。
こんなことをいつまで続けるのか。さすがにまずいと思ったのか、文部科学省も机の消毒については8月6日に見直し方針を現場に伝えたようだが、「何か」に対する忖度がらみの現場のやりすぎはまだまだある。今後、そういった呪縛のひとつひとつを解いていく対応が望まれる。
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参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=359736