イエズス会・ザビエル一派が布教の裏で行った日本人奴隷貿易

同じ人間を奴隷として私物化・家畜化し、更には商品化する流れは、15世紀大航海時代に一気に世界規模に広がった。日本もその流れと無縁ではなかった。

以下、「誰も語れなかった驚愕の日本史」より。
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15世紀以降の大航海時代になると、黒人を奴隷とする大西洋奴隷貿易が盛んになるが、ポルトガル人のアジアへの進出に伴い、アジア人を奴隷とする奴隷貿易も行われるようになっていた。

そんな中、フランシスコ・ザヴィエルは日本をヨーロッパの帝国主義に売り渡す役割を演じ、ユダヤ人でマラーノ(改宗ユダヤ人)のアルメイダは、日本に火薬を売り込みむ交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいたボスの中のボスであつた。

そして、日本でもポルトガル人が日本人女性を奴隷として買い付け、イエズス会士ルイス・セルケイラ(Luís Cerqueira)が1598年に書いた日記によると、ポルトガル人は多数の日本人少女を買い取り、性的な目的でポルトガルに連れ帰ったばかりか、ポルトガル船で働くヨーロッパ人水夫だけでなく、黒人水夫、さらにはポルトガル人が所有していたマレー人やアフリカ人奴隷の性奴隷にされたという。

また、豊臣秀吉の朝鮮出兵時の従軍記者の見聞録によると、『キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいぱかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし』と記されている。

例えば、大友宗麟は、Γ火薬製造に欠くことのできない硝石を手に入れ、輸入するためであれば、彼にとって豊の国の寺院を破壊したり、若き娘たちを売り払うことは何でもないことであった」と。

また、有馬晴信は、宣教師ジョアン・ロドリーゲスの要求により、南蛮人の蛮行を見るを見まねて、領民から進物即ち少年少女達を徴集し、ゴアに本拠を置くポルトガル領インドの副王に奴隷として送った。このため「近所の日本人が子を売り親を売り妻子を売る」という状況となり、「有馬の地全土が苦悩におおわれ、錯乱した人々は子供たちをつれてしげみに逃れた。」といわれている。

この結果、キリシタン大名の大友、大村、有馬の甥たちが、天正少年使節団としてローマ法王のもとに行った際の報告書を見ると、『行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない。鉄の伽をはめられ、同国人をかかる遠い地に売り払う徒への憤りも、もともとなれど、白人文明でありながら、何故同じ人間を奴隷にいたす。ポルトガル人の教会や師父が硝石(火薬の原料)と交換し、インドやアフリカまで売っている』と。

このように、ポルトガル人が「神の愛」を説きながらキリスト教の布教をおこなう一方で、南蛮貿易において多数の日本人を安く仕入れ、奴隷として船に連行し、海外に売り飛ばす事実を知った豊臣秀吉は激怒、その言葉を伝える「九州御動座記」によれば、イエズス会宣教師に対して、「予は商用のために当地方に渡来するポルトガル人、シャム人、カンボジア人らが、多数の日本人を購入し、彼らからその祖国、両親、子供、友人を剥奪し、奴隷として彼らの諸国へ連行していることも知っている。それらは許すべからざる行為である。よって、汝、伴天連は、現在までにインド、その他遠隔の地に売られて行ったすべての日本人をふたたび日本に連れ戻すよう取り計らわれよ。もしそれが遠隔の地のゆえに不可能であるならば、少なくとも現在ポルトガル人らが購入している人々を放免せよ。予はそれに費やした銀子を支払うであろう。」と警告した。

が、事態の改善が見られなかったことから、イエズス会の野望を喝破した豊臣秀吉は天正15年(1587年)6月18日、宣教師追放令を発布し、イエズス会の一掃を断行したのである。
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参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=352350

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