自分が無知であることをまず知る…人はそれぞれ遺伝や体質が異なり、必ず個体差がある

自分が無知であることをまず知る

人を健康にしたい、症状を改善したいというゴールや目的は、ほぼみな同じなのに、なぜこうも真逆の考えが錯綜しているのでしょう。

まず、最初に考えなければならないことは、人はそれぞれ遺伝や体質が異なり、必ず個体差があるということです。これは性格や思考が人によって異なるように、先天的にもつ代謝能力の得意・不得意も当然異なります。また、育ってきた環境、今までしてきた生活習慣は人それぞれ違うこともあり、同じアプローチをしても当然差が出てきます。つまり、これこそが正解だ、これこそが正しいというのはまずありません。あるとすれば、この人にとってこの時点ではこれが正解だった、しかしこれが他の人にも通用するかはわからないし、この人でも数か月後にこれが合うかはわからない、ということになるしょう。

疫学調査の結果を見てもよく分かれますよね。たとえば、ある国の疫学では○○をよく食べる人ほど□□のリスクが低いとあれば、逆にリスクが高くなってしまった国や地域もある。ある調査ではポジティブな結果となったのに、他の調査ではネガティブな結果となることもよくあります。

つまり、これはあくまで統計上のもので、「必ずしも万人に通用する手法はなかなかない」ということを意味しているのです。もちろん、統計的に見れば、多くの人にはこれが功を奏すかもしれないが、少数では効果が見られないことがある、と解釈できます。

しかし、SNS上では、真偽や真実を最後まで追求していくことに生きがいを感じる人よりも、残念ながら、自分やグループの意見を正当化することに生きがいを感じる人の方が多いのです。だから、正当化に固執する人は、良結果しか紹介しません。そして、良結果しか見えてないのです。しかし、素人から見れば至ってわかりやすいため、それなりの支持を得たりします。

一方で、真実的なものを追究する人は、良結果も、失敗も、例外も全て上げて、さらに研究します。本当に追及していく人は、好結果がある一方で、例外や失敗例がなぜ起きるのか、そこにフォーカスすることで新たなステップを踏めるということをよく知っています。

このような差は、自分が「無知である」ということを常に謙虚に念頭に置いているかどうかの差であります。現在では、専門的な機関に行かなくとも、ネットや電子書籍などでいつでもどこでもすぐに表面的な情報が得られます。そのため、そのような二次情報をちょっと勉強しただけで、「知った気」になります。

こうした「知ったか」は非常に危険です。知ったかは、時代の流れや新しい情報を拒み、常に自分の殻にこもって狂信的にグループ化し、意見が異なる他者に敵対します。こうした固い頭では、残念ながら、数か月単位で情報や流れがアップデートまたはコレクトされる現代では、気づいたら取り残されてしまい、まさに老害化してしまうのです。そして、本人は自身が老害であることに一生気が付かないことでしょう。

こうした連中はたとえ新しい情報を得ても、自分の正論において、都合の良い解釈しかしないため、何の進歩もありません。まずはこのような人たちとは距離を置くことが賢明でしょう。

人は知ったかになったり、自意識が強くなりすぎると、錯覚しはじめます。いつでも「自分が無知であることを認識する」こと、これがどのような時代の変化が来ても、柔軟に対応でき、方向転換もできる、唯一の思考だと思っています。

参照:https://www.facebook.com/nobunaga.yoshitomi/posts/1088274058019628

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