宍戸錠さん、死の前日もコンビニ弁当・・・ 家賃12万円の孤独な晩年

>「宍戸さんは会うといつも『今日はこれから撮影なんだよ』と、気さくに話しかけてくれました。いつも笑顔を絶やさない素敵なおじいさまでした」目を細めながらこう語るのは、近隣住民・・

「21日未明、東京都世田谷区の自宅で宍戸さんが倒れているところを親族が発見。救急隊が駆け付けたときにはすでに亡くなっていたといいます。宍戸さんは晩年、単身で暮らしていたため気づくのが遅れたようです」(社会部記者)

宍戸さんは地元の東京・仙川では“庶民派な素顔”も見せていた。宍戸さんが30年以上通った和食店の女将はこう語る。

「ジーンズ姿で商店街を闊歩する宍戸さんの姿はまるで“仙川のチャールズ・ブロンソン”と評判でした。ある晩、近くで酔ったサラリーマン同士のケンカがあったのですが、偶然通りかかった宍戸さんがわざわざ仲裁に入っていったんです。『ケンカしてもケガするだけでつまらねえよ。やめろやめろ!』と、その場を収めていました」

・宍戸錠さん 亡くなる

地元住民からどこまでも愛された宍戸さんだが、人知れず孤独も抱えていた。

「宍戸さんは’10年に約50年連れ添った妻・游子さん(享年77)を亡くしています。さらに、その翌年にはとても大切にしていた愛犬のシェパードも亡くなり、それ以来、2階建ての豪邸で一人暮らしをしていました」(前出・映画会社関係者)

そして、最愛の“家族”に先立たれた宍戸さんに追い打ちをかける事件が起こる。

「’13年2月に、火事で宍戸さんの自宅が全焼しました。火事の直後はホテル暮らしをしていましたが、しばらくして自宅近くにある家賃12万円の賃貸マンションに移りました。財産を娘さんに渡し、貯金はほとんどなかったそうです。その後はコンビニで買った食品を食べながら、自宅でワイドショーを毎日のように見る生活を続けていたと聞いています」(前出・映画会社関係者)

宍戸さんが頻繁に通っていた地元のコンビニ店員はこう語る。

「宍戸さんは、日に2~3回は買い物にいらしてました。宍戸さんの食事のほとんどはうちの商品だったのではないでしょうか。宍戸さんも冗談交じりに『俺の体はさ、ここの弁当でできているんだよ』とよく言っていました」

“3食コンビニ生活”は亡くなる前日まで続いていたという。宍戸さんのマンション近くにあるバイク販売店のオーナーは語る。

「実は亡くなる前日の17日に、宍戸さんとコンビニでばったり会ったんです。宍戸さんのほうから『よ、元気かい?』と声をかけてくれて、聞き返すと『俺はまあまあだな……』と笑っていました」・・

(source: 女性自身 – 宍戸錠さん 死の前日もコンビニ弁当…家賃12万円の孤独な晩年

・孤独な晩年と言いますが、奥さんにも先立たれたらほとんどの人が晩年は孤独では?
人生やり尽くして静かに余生を送っていたという書き方が正しいのではないでしょうか?

・妻を看取り、愛犬を看取り、最後は一人で死んでいく。孤独というと寂しい印象になるが、個人的には理想的な最後だと思う。妻や犬を残して死ぬ事を考えたら、こっちの方が全然いい。

・亡くなる前日までコンビニへ行けて食欲があったってことなのかな。
だとしたらなかなか羨ましい死に方だったのかも。
ただ、財産の殆どを受け取った娘さんの事が何も書いてなかったけど、度々会いに行かれてたのなら孤独ではあったかもしれないけど良い人生を送られたんじゃないのかな。

・何も家族と同居してるだけがいいわけじゃない。
コンビニ弁当だって構わないだろ。
歳を取ったら自分では何もしなくても家族や嫁が世話をしてくれる、それが幸せだ、みたいな考え方が悲惨な自宅介護を招く。
誰に面倒見て貰うわけでもなく最後まで生活する、これがカッコいい生き方なのよ。

・奥さんに先立たれ自宅が全焼した後に娘さんが宍戸さんの財産を預かって管理していただけでは?
何かひもじい生活をさせていたような記事は宍戸さん本人含めて失礼だと思います。
自炊が出来なければチルド弁当を買ったりは当たり前。
ワイドショーでは馴染みの居酒屋へ顔を出す姿かあったと報じられていました。
ずいぶん庶民的だなと思いました。

・子供の世話にならず逝く時は一瞬で。
これが理想です。
子供が親の面倒見るのは当たり前だろ、と思う親もいると思いますが、やがて自分の子供にも家族ができるだろうし、私の事で子供の人生の足かせになるのだけは嫌です。

参照:http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/10182790.html

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