与那国島が発癌性除草剤「ラウンドアップ」に汚染されます。どうか力を貸してください・・・散布するのは辞めてください。 与那国島だけではなく、全世界に撒かないでください。

急を要する問題です。なるべく簡潔に書くつもりですが、どうか最後まで読んで、与那国島のために力を貸していただけないでしょうか。
結論だけ先に述べると、与那国島の周回道路に世界中で危険性が指摘されているラウンドアップを除草目的で散布する計画があり、これをなんとか止めたいと切実に思っています。

今年の7月に突然告知された張り紙を見て、これは止めなければいけないと思いSNSを使って発信したところ、多くの人が協力して与那国町のまちづくり課に掛け合ってくれて、検討するとのことでこれまで止まっていたようです。

すっかり安心していたのもつかの間、木に巻き付けられていた張り紙が何か新しく交換されているように見えて、よく文面を読んでみたところ、明日11月18日から散布作業に入ると、日付だけを入れ替える形で再度告知されていました。(これを書いている17日から20頃まで、天の恵みのようにまとまった雨が降っていしかも風がかなり強い状況です。乾かないと散布出来ないのでこの間になんとか力を貸してください)

私が今回の再開を許せないのは、与那国町が一時的にでも止めていた対応を評価していたからであり、その過程で判断基準になる様々な危険性の事例を伝えられていたから、グリホサートの認識があったと思っていたから、総合的にどんな判断があったかは聞き取りする必要がありますが、再開に踏み切るということは、無知ではない知りませんでしたでは済まされない、確信犯以外の何物でもないと感じたからです。

ほとぼりが冷めたらしれっと気がつかないようにすればいいんだという姑息な判断が行政にあるのだとしたら、余計に住民として裏切られた気持ちでもあり、この住民の健康を無視した対応を取るならば、責任の所在を明確にさせて堂々と予防原則を守らせる交渉しなければ、かつての公害が引き起こした被害と同じ道をたどるだろうと考えています。

モンサント社(現バイエル)はラウンドアップの主成分であるグリホサートは「すぐに分解されて尿から排出されるので、人間に蓄積することはないと」これまで主張してきたのです。しかし、当事者に起こりうる発がん性のリスクの因果関係は米国の裁判所で判決が下されたのみならず、体内に蓄積される特性もあり、世代間を超えて病理が劇的に増加することをワシントン大学の研究チームが発表しています。これはつまり子や孫の世代の方がより多くの被害を受けることを意味しています。

日本は残念なことに、2016年グリホサートは安全であるという評価基準を出してしまっています。それに伴い2017年12月に農産物の残留基準値を品目別で最大で400倍引き上げる法決定をしました。しかし一方、世界の流れはというとフランス、ドイツをはじめEUでは禁止の方向に、アメリカでは3例目の裁判で2200億円の賠償命令が出されて、担当した弁護士(ジョンFケネディ大統領の弟、ロバートケネディのジュニア)の話では今やこのような裁判が5万件起こされているそうです。しかもその因果関係を裁判所に認めさせた医学データーを日本にも提供するとの発言もあります。日本政府も与那国町も、知らなかったということで逃げ切るれるつもりなのでしょうか。

つまり、世界の趨勢で見ればグリホサート系の農薬を使うことはEUではもはや無理であり、アメリカでは裁判で常に負け続けるのですから、これを無批判に使用し続けるのは世界ではほとんど日本しかないという状況です。これを指して前回のFBでの発信では、日本を多国籍企業の在庫一掃処分のゴミ箱にするなと私は言いました。この認識は農薬の問題だけではなくあらゆる社会問題に通底している企業優先のコーポラティズムが原因なので、メディアが報じない原因も同じくここにあって、個別の社会問題に取り組んでいる日本中の人々がつながれるきっかけになる場を共有して、情報を発信していくことに協力できればと願います。

元農水大臣でグリホサートの問題を発信し続けている山田正彦さんのブログから気になった点を引用させてもらいます。
『怖いのは、ラウンドアップは各国が禁止、制限しているのに日本では 畦道、道路、学校の校庭等の除草、家庭菜園などでも使われています。
報道されませんが、私は聞いたことが起こり始めているのではないでしょうか 。
大村湾漁協の組合長の話ですが「除草のためにラウンドアップを撒いたら、いっぱいいた猫がどこに行ったのかいなくなってしまった」と。
先日、テレビのワイドショーでもある島で猫が原因不明の死を遂げて激減しているとの報道が。
千葉県 茂原の猫好きな夫婦が6匹飼っていた猫のうち2匹が泡を吹くなど不審な死を遂げたので、除草剤を撒いた道端の草を食べたからではないかと。�それ以後は夫婦は一切猫を家の外に出さないそうです。
水俣病も最初は猫の変死から始まりましたが、私には不吉な予感がいたします。』

僕がこれを読んで思ったのが、背の高い大人のあなたではなくて、猫とか犬も子供も地面からすごく近い距離にいる弱い命をこそ守ってほしい、それが人間に大切な命への視座だということ。
この問題に関わっている小樽の人が、「農薬散布している近所で、散歩していると犬の鼻が爛れるんです」と集会で発言していて、僕が与那国島で9年間生活を共にしたルートという犬も、そういえば鼻の奥に悪性リンパ腫が出来て死にました。確かに散歩で地面に近いところの匂いを嗅ぐことが多い犬は農薬大国日本では最もリスクが高くなっていたのかと、思い至り申し訳ないと思いました。

自分が知らないうちに、命がだんだん消えていくという危機感は僕にもあって、今年は蝉が少ないとかカエルが少ないとか、ちょっとした自然からのメッセージがあって、日本全国同様におかしいなと思う人たちはまだギリギリ自然への手触りの感覚があって救われていると思います。
僕が少年時代に山や川で遊んでより自然の様相が深くなればなるほど、キラキラと心がときめいた感覚を覚えている。多分それはセンスオブワンダーとも言われる可能性に開いた世界なのかもしれない、未知へのわくわくが僕の心にとってかけがえのない経験として今に生きているのだろうと思います。

だからどうか、次の世代の子供達へ残すのが生き物が消えた後の公害が蔓延した後の「沈黙の春」であってはならないんです。かろうじて豊かな自然の中でそのすばらしさを知った大人が沈黙して、立場に縛られて、金に縛られて、もの言えなくなっているのは見て見ぬ振りをしている人も含めて最悪だと思う。今なんとかしないと命と生き物と自然の関係性を実感として全くわからない。バーチャルな感性で代替された子供たちがどんな人生を送るのだろうか、資本主義のモンスターみたいな考え方する子供が出てきて、全く何の文化の継承も、命のつながりもなくなる前にできることがある。それは自然破壊を止めて政治を自分たちの元に取り戻すしかないんです。
中央政府は動かなくても地域からできることの可能性はまだあるから、共に繋がって地方の問題解決から世の中変えていきませんか、日本で一番端にある島を応援してください、もしかしたらそこがオセロの端っこかもしれません。

参照:https://moistchocolat.ti-da.net/e11341519.html?fbclid=IwAR1qzlLNXBjkzlxchhM2lHfKOt2_9hh_zQa0fbJWpX8VS4At8Fj5suW4-wo

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