首都圏は狂気と毒気の世界、日本の地方社会は未だしもマシ?

・山陰や東北など日本の地方に出向いて、地域社会に根ざした地方紙の報道や論調を目にすると、東京から発行される朝日新聞や日経やNHKなどとは基調の違いに気が付く。報道のスタンスや空気が首都圏の報道機関とは明らかに違いがある。霞ヶ関界隈の上目遣いの忖度風土に対して、未だ日本の田舎では状況と人を見る骨太の視点が息づいている。
・森友問題ではその中心にいた安倍総理の奥方も証人喚問を切り抜けて、公文書の改ざんを指揮した財務省の局長も1階級昇進してチョンとなり、地検特捜も不起訴でお仕舞いとした。そしてまた、内閣府主催のお花見の会では、安倍総理への度を越えた忖度がバレてしまい、招待者リストなどは直ちに償却処分したので経緯の辿りようがないと官房長は国会強弁した。森友問題官僚答弁の再来である。
国民の財産を守る責任がある財務省から、安倍首相主催のお花見の宴招待者お手盛り大奮発の内閣府まで、霞が関の官僚人事権を掴んだ安倍政権と官僚組織は腐りきってしまった。そんな政権が憲政史上最長内閣というのだから、国民は救われない。

・首都圏に出向いてみると、主要な交通機関の乗り降りから乗り継ぎなど、そのストレスには凄まじい違いがある。嘗て、ラッシュアワー時の東京では、乗降口から乗客を押し込むよりも、しがみついてる乗客を剥ぎ取るのが駅務員の仕事だったそうだ。今でも電車が速度を残して走りこんでくるホーム際を、押し合いながら移動する乗客を目の当たりにすると、見ているだけでヒヤヒヤしてしまう。軌道に転落するなど、鉄道人身事故の日常化は当たりまえだと実感してしまう。
・そして住居費をはじめ生活費負担の大きさは、地方出身者の生活を日々圧迫している。都会で若い男女がまともに生きていくのは極めて窮屈な実態がある。仕事をするには仕方なしに東京に出向くが、定住と生活には間違いなく日本の地方が良い。市場も都市も今やらん熟の極みで、狂気と毒気に覆われてしまい、国民は活力衰弱の極みとなってしまった。

参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=351118

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