東京大学の出身者は、なぜ卒業後に実社会で伸び悩むのか。

「専門バカ」にならないように、いかに社会とつながるか、いかに異質な存在になれるかが重要という内容。裏返せば、大学で普通に過ごせば、使い物にならない「専門バカ」になりますよという事だと思う。

リンクより引用します。

※※※以下、引用※※※

東京大学の出身者は、なぜ卒業後に実社会で伸び悩むのか

(前略)

大学は基本的に「地産地消」だ。入学者の大半は地元出身者が占める。全国から優秀な学生が集まると考えられている東京大学ですら例外ではない。2019年の東京大学の入試では合格者の59%が関東出身だった。早稲田大学、慶応大学にいたっては、ともに78%が関東出身だった。

(中略)

東大出身のノーベル賞受賞者はわずか4人

では、東京出身で東京大学などの一流大学を卒業した人のその後はどうなっているだろうか。私は、伸び悩む人が多いと思っている。もちろん、出身大学が出世に影響する役所や大企業では、東京大学などの名門大卒は、やはり強い。これは医学界も例外ではない。

(中略)

彼らが優秀で仕事ができるのなら、それでいい。ところが実態は違う。東京大学医学部の卒業生は「頭は良いが、仕事はできない人間が多い」と私は感じることが多い。

(中略)

その最たるものがノーベル生理学・医学賞だ。わが国からは、過去4人が受賞しているが、東大医学部の出身者はいない。余談だが、この現象は医学だけに限らない。自然科学系で過去に20人がノーベル賞を受賞しているが、東京大学出身者はわずかに4人だ。京大の7人に遠く及ばない。

(中略)

米国立医学図書館のデータベースを用いて、「Core Clinical Journal(医学分野で重要性の高い雑誌)」に掲載された論文数を調べた。上位陣には京都大学、名古屋大学、大阪大学など「地方」の大学が名を連ねる。東京大学の順位は5位だ。京都大学の70%、名古屋大学の83%程度だ。

なぜ、こんなことになるのか。それは東京が人材育成の点で弱点を抱えているからだ。

近年、東京大学医学部では白血病治療薬の臨床研究不正、基礎研究改ざん疑惑、心臓カテーテル医療事故などの不祥事が続くが、責任者の教授は東京の名門校から東大医学部へと進み、卒業後のほとんどの時間を本郷キャンパスで過ごしている。

これは、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥氏、利根川進氏、大村智氏などのキャリアとは対照的だ。彼らは「地方」都市で生まれ、「生き延びる」ために世界各地を回った。試行錯誤を通じてノウハウを身につけ、ネットワークを構築した。私は、異文化との交流を通じ、自らを客観視し、強みを伸ばしていったのだと考えている。

異文化と交流しないことは、臨床医にとっては大きなハンディキャップとなる。それは医師が全人的医療を行うには相手のことを知らねばならないからだ。患者は自分とは異なる価値観を持つ。それは生い立ち、家庭環境、職業に影響される。

関東圏の裕福な家庭に育ち、地元の名門校から東京の名門大学の医学部に進み、ずっと同質な環境で成長すれば、それがすべてと思い込む。これでは、患者の立場に立って考えることなど、期待すべくもない。

商人の文化が息づく灘高の出身者

では、このような医学部の学生はどうすれば、いいのだろう。私は「異質な存在」に触れることだと思っている。それには「旅」がうってつけだ。若者が成長するのに必要なのは「旅」というのは、古今東西、変わらない真理だ。

私もこの件に関しては、実は試行錯誤を繰り返している。4月から私の所属する研究所でインターンを続けていた岩松遼君のケースを紹介したい。浜松医科大学の1年生だ。

(中略)

私が岩松遼君に言ったのは、医療に固執せず、いろいろな経験をすること、多くの人と付き合うこと、さまざまな分野の本を読むことの3つだった。そして、国内外のいろんなところに出かけるようにも勧めた。

(中略)

彼がびっくりしたのは、質疑応答の最後での老人の発言だった。「医師へのリベートは企業の過当競争の結果だ。うちも同じような状況だったが、発想を転換したら上手くいった」と語ったのだ。

発言の主は嘉納毅人氏。灘校を経営する菊正宗の前社長で、学校法人灘育英会の理事長を務める。

嘉納氏は菊正宗の営業で、小売店主を接待するのではなく、数万円のお金をとって蔵元の見学ツアーを企画した。幹部たちが反対する中、オーナー社長の権限で断行したところ、「たいへん好評だった」という。

嘉納氏は小売店主の視点に立ち、接待で顧客の時間を無駄遣いさせるより、彼らの知的好奇心を満足させることを目指した。ある意味で徹底した顧客重視だ。嘉納氏の試みは、医師と製薬企業の関係を考えるうえで示唆に富むやり方だ。

(中略)

余談だが、灘校の卒業生は、政界や官界ではあまり「出世」しない。東大医学部でも状況は変わらない。灘校出身の東京大学医学部卒業生は443人いるが、メジャーな診療科の教授になったのは、わずかに2人だ。「東京大学医学部で出世しない灘校生」は業界では有名だ。

その代わり在野で活躍する医師が多い。私は、これは嘉納一族の文化を反映していると考えている。

(中略)

岩松君にとって、今回の神戸訪問はかなり刺激になったようだ。さらに夏休みには広島市内で遠隔画像診断サービスを提供している「エムネス」社でもインターンを行った。東京や神戸とは違う雰囲気を体験した。彼は積極的になった。将来は世界各地で診療したいという。

この夏、岩松君は変わった。「異文化」と触れ、成長した。若者は東京にずっといてはいけない。成長を求め、「旅」をすべきだ。

参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=351071

シェアする

フォローする