【フクシマ】タダで都内タワマン「福島原発避難者」を県提訴 両者の言い分

復興はまだ道半ば、と決まり文句のように言うけれど、これぞ抜き差しならぬ“残された大問題”ではなかろうか。自主避難を選択して福島を離れ、公的支援を受けて都内のタワマンに家賃を払わず期限を越えて暮らし続ける人々。彼らに対し県はこのたび、困り果てて法的手段に訴えたのだ。

 福島第一原発の事故後、避難指示区域でないエリアから自主避難した福島県民は一時、3万人を超えたという。その場合でも災害救助法の適用を受け、県内外の公営や民間の住宅に無償で住むことができた。

 無償期間は2017年3月末で打ち切られたが、一応は経過措置も講じられ、国家公務員宿舎で暮らす人々に限っては2年間、国家公務員と同額の家賃を支払えば居住の継続が可能となる支援策が採られもした。

関係者が言う。

「なかでも80世帯に及ぶ多くの自主避難者が住み続けたのが、東京都江東区の『東雲(しののめ)住宅』でした。36階建てのタワマンで、家賃は一番安くて1LDK(24平方メートル)1万7千円、高くて3LDK(68平方メートル)5万9千円。東雲は都内でも人気のエリアで、官舎でなければ3倍以上の家賃が相場ですから、金額としては格安でしたね」

 ただし、それはあくまで経過措置だった。当初予定の2年を過ぎた今年4月、入居者は約束に従って引っ越すはずだったのだが、

「なお40世帯ほどが転居せず、うち5世帯は家賃の支払いも拒み、8年にわたって一円も払わず居座り続けています。そこで福島県議会は退去を求めて彼らを提訴する議案を可決したのです」(同)

 福島県生活拠点課の担当者が説明する。

「退去期限を過ぎた今年4月以降も居続ける方に対しては7月、家賃の2倍に相当する“損害金”の支払いを求める請求書を送付しています。県が提訴するのは、経過期間含めて家賃を一度もお支払いにならず、我々との話し合いにも応じてくださらない5世帯です。家賃は県民の税金で賄われておりますので、放置するわけにいきませんでした」

現実的に厳しい条件
 県側も提訴は望まぬことだったようで、

「5世帯以外の方も経過期間が終わった以上、住宅を見つけて転居していただく必要があり、我々も東京で不動産業者と一緒に20回以上、相談会を開いてきました。しかしながら自主避難者の方から出てくる要望は“23区内で2LDKや3LDKで家賃6万円以内のところ”などといった、現実的には厳しい条件ばかりです。福島県内の復興公営住宅であれば、同じ間取りで2万円弱の物件もありますが……」

 もちろん、5世帯の側にもそれぞれ言い分や事情があろう。そこでオートロックのインターホン越しに話を聴こうとしたが、応答のあった3世帯はそれぞれ、

「弁護士さんにすべてお任せしていますので……」

「すいませんけど、失礼します」

「お断りしまーす」

 といった按配。そうした中、居残ったある男性(58)はこんな胸中を口にした。

「私は元々いわき市で働いていましたが、原発事故後に会社が潰れ、東京に出てきて就いた職場も半年で倒産したんです。その後、避難生活のストレスもあってか、心身のバランスを崩して働けなくなって、障害者手帳を取得しました。いまは貯金を切り崩しながら病院に通い、家賃の安い都営住宅の抽選に応募しているんですけど、8回連続で落ちてしまって。福島に戻っても仕事を見つけられそうにないし、病院が替わるのも不安でね……」

 県との協議については、

「他の方はどうか知りませんが、私は必ず応じていたし、自分の体のことも何度も説明しました。なのに、まさか提訴されるとは夢にも思わなかったよ」

 一方、今年2月に東雲住宅を出て郷里に戻った男性(83)に思いを尋ねると、

「東京に住んでいたときは、買い物に行くにも病院に行くにも交通機関が発達していて便利でしたよ。それでも故郷には、自分が見て育った田畑や山林やお墓もあって、捨てるわけにはいかないでしょ。こちらは高齢者ばかりで、ずいぶん人も減りました。若い人がもっと(東京から)帰ってくれば、昔のような活気ある町になるんじゃないかって期待してるんだけどねぇ」

 自主避難を選択した人々には、今回も「自主的に」地元に戻って復興に力を貸してほしい。それが県側の望みだというが、解決への道のりもまた半ばである。

参照:https://news.livedoor.com/article/detail/17322442/?fbclid=IwAR2vV132kqMXuLt8YuIZ50uE-_p9DH_OlW4pZeAiIwkBCIvvKjpVXIf1jbo

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