血液は骨髄などで造られているのではなく小腸で造られているのである (千島学説より)

消化酵素の作用や腸の運動による撹拌を受け、ドロドロになった食べ物は、腸絨毛じゅうもうの表面を覆いつくすようにべったりと付着するその付着物がしだいに絨毛の内部に取り込まれていき、絨毛組織内で本格的な消化作用を受けるこの組織内消化が完了すると、そこに「赤血球母細胞」というものが現れてくる。これはその名のとおり、赤血球の母親ともいうべきもので、なかに数十個の赤血球をすでに孕んでいる。赤血球母細胞は腸絨毛組織以外、体のどこにも存在しない。この赤血球がやがて新生の血液となって腸壁のすぐうしろにある毛細血管内に放出され、血流に乗って全身をめぐっていく。
アメーバなどの原生動物を除き、イソギンチャク、ヒドラなどの腔腸動物からミミズやゴカイなどの環形動物にいたるまで、すべて体内に血球つまり血液を持っています。この点では下等動物も高等動物も変わりはない。これを系統発生の系図から見ると、骨という器官が出現するのはかなり進化が進んだ魚類あたりということになる。つまり骨が造られるのは、生物全体の歴史からいえばほんの昨日ぐらいに当たるのにたいし、血液(赤血球)が出現するのははるかの昔ということになる。造られるものより造る器官があとだというのは、因果関係が完全に逆転している。
つぎに個体発生とは、たとえばオタマジャクシがカエルに変態成長していく過程をいい、両者を比較しながらその生理構造を考えるのが、個体発生の立場から生物の研究をするということ。そうすると、オタマジャクシは手足の骨髄組織がないのにちゃんと赤血球が造られており、それは成体のカエルの赤血球と成分的に同じものだ。ということはここでも、造るはずの器官がないのにその生成物だけが存在するという、奇妙な話になってしまう。
白血球は、体の細胞を造る前の段階のものである。固定組織細胞になったら動かなくなるけれど、その前の状態として動き回っているのが白血球。白血球という段階の細胞なら、(必要に応じて)自分の好きなところへ動いていって、必要な時がくれば組織に定着し、動かない固定組織細胞(体の各部の細胞)になっていくという考えだ。このコーンハイムらの提唱は大変にダイナミックで、じつにすばらしい考え方である。この考え方こそが正しいのである。たとえば白血球というのは、やたらバクテリアを求めて炎症が起こった場所にだけ集まるといった細胞ではなく、われわれの体のすべての細胞に変化・発展する直接的な材料である。好きなところへ移動していって、それぞれの臓器の細胞に変わっていく・・・これこそ妥当な考え方なのだ。

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