ディープ・ステート(闇の政府、国家の中の国家)とは何か???

ディープ・ステート(闇の政府、国家の中の国家)に近しい存在としてしばしば挙げられる集団に、世界最大の秘密的結社であるフリーメーソンがあります。

世界のトップクラスの政財界人が入会している事実からも、社会への影響力は当然無視できませんが、多くの組織がそうであるように、フリーメーソンも派閥、分派、背乗り等の歴史を経て今日に至っています。

大きくは、無神論思想の民族派と一神教思想のグローバル派が併存していることを見抜き、峻別して理解する必要があります。

以下、「フリーメーソンとは何か-20 大東社とフランス革命」より。
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フランスでは、1756年にド・クレモン伯爵をグランドマスターとして、グラン・ロージェ・ナショナル(グランドロッジ)が創設され、1771年にド・クレモン伯爵が亡くなると、ド・シャルトル公爵(後のド・オルレアン公爵)がグランドマスターとなり、フランスのフリーメーソンの改革・再編を目指す運動が起こり、パリで新憲章を作成するための集会が開かれ、1773年にはグランドロッジの廃止とグラントリアン(大東社)の創設が決定されました。 

フランスのグランドロッジは少し複雑で政治的であります。  グランドロッジ・オブ・パリには、もともと内部に階級に基づく派閥主義が横行し、1765年には政治的危機が爆発し、中流階級派閥のリーダーであったラコルネが、上流階級に属するグランドロッジの指導者を追放してしまいました。

その後、追放されたグループはなんともう一つのグランドロッジを設立してしまい、それに偉大なるオリエントという意味のグラントリアンという名前をつけ、結果的にもともと存在していたグランドロッジは空中分解し消滅してしまったのです。

グラントリアン(大東社)はリーダーであるド・シャルトル公爵により組織的改革が行われ、より無神論的な、理性へのさらなる信仰をロッジの信条とするに到ります。

フランスのフリーメーソン活動と、イギリスのフリーメーソン活動には差がありましたが、それはイギリス系のロッジがフランスに出来る前に、既にスコットランド系のロッジがフランスにはあり、スコットランドは薔薇十字団の残党が住み着いた場所であった為、フリーメーソンが職人ではなく、薔薇十字団にそのルーツを求め、どちらかというと上流階級と中流階級のエリート層で構されていました。  また、神に関する考え方にも相違がありました。

グラントリアンの創設は、フランスのフリーメーソンのイギリスからの独立を意味するもので、イギリスのグランドロッジが神の存在と魂の不滅性を大前提としていたのに対し、グラントリアン(大東社)は、その前提を否定し、さらに急進的な無神論的結社となってゆきました。

オリアン(東)は、太陽の昇る方向として光を意味し、フランスを導く 「 偉大な光 」 という期待が、この名称にはこめられていたのです。

ド・シャルトル公爵は、居酒屋でロッジを開催することを禁止したり、入会に一定の基準を定めたり、意欲的に改革を進め、その結果として多くの貴族・富裕商人・知識人がロッジに集まるようになりました。  私の経験では、現地の人にはロッジの事をアトリエと言わないと通用しない場合もあります。  ロスチャイルドという名前も、ヨーロッパではローチーと発音しないと、なかなか分かってくれない場合が多いです。

ド・シャルトル公爵がグランドマスターになった時、104のロッジが登録されていました。その内訳は、パリに23、地方に71、軍事ロッジが10でしたが、1789年になるとパリに65、地方に442、植民地に39など合わせて600あり、フランス革命が始まる時点では、ロッジ数600、会員数2万~3万人の勢力を誇り、議会・軍隊・教会・宮廷から小さな町まで、至る所にフリーメーソンがいたとされています。

この頃、特筆すべきものとして、南ドイツのインゴルシュタット大学法学部教授、アダム・ヴァイスハウプトによって、1776年5月1日に創設された 「 イルミナティ 」 があります。 このイルミナティに資金援助を行ったのが、ロスチャイルド財閥の祖、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(1744-1812年)です。

「イルミナティ」 という言葉は、サタン(ルシファー)に由来し、「光を掲げる者」という意味を持っています。  イルミナティの目的は、知的能力を実証された人々が世界を治める「世界単一政府」を生み出すこととされ、文学・教育・美術・科学・財政・産業の分野でもっとも聡明な人々を含む2000人もの結社員を集めました。

結社結成の日、ヴァイスハウプトは「Novus Ordo Seclorum」というタイトルの本を出版していますが、このラテン語の意味は「新世界秩序」で、ヴァイスハウプトの掲げたイルミナティの行動綱領は以下の通りです。

1、すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立。
2、私有財産と遺産相続の撤廃。
3、愛国心と民族意識の根絶。
4、家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン教育の実現。
5、すべての宗教の撤廃。

この危険な思想のため、彼は弾圧され、世界最大の秘密結社組織「フリーメーソン」に逃げ込むようにして入会を果たし、その後ヴァイスハウプトは、フリーメーソンのロッジでも最高位に登りつめ、フリーメーソン内にイルミナティ組織をつくり、フリーメーソンは変質してゆく事になりました。

フリーメーソン側も、この危険思想のヴァイスハウプトを追放しようともしましたが、時既に遅く、既に強大な力を持ったヴァイスハウプトを追い出すことはできず、1782年7月16日にイルミナティとフリーメーソンの間で会談が行われ、協議の結果、イルミナティは正式にフリーメーソンの中のひとつの派とすることになったのです。
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リンク

参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=348839

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