インディアンの考え方・・・「私の食べ物」「私の家」「私の土地」という発想は、チェロキーインディアンにはありません。 そうではなく彼らの発想は「私たちみんなの食べ物」「私たちみんなの家」「私たちみんなの土地」ということになります

インディアンの考え方
 
私は常に先住民に学べと言っていますが、その中でもアメリカインディアンの考え方は非常に参考になります。
例えばチェロキーインディアンには「マイ」という言葉がないそうです。
「私の食べ物」「私の家」「私の土地」という発想は、チェロキーインディアンにはありません。
そうではなく彼らの発想は「私たちみんなの食べ物」「私たちみんなの家」「私たちみんなの土地」ということになります。
 
私たちという考え方なので、インディアンはそこに住む全ての生き物、虫や動物や木や草や花にも、何かするときは許可をとる必要があると考えます。
また彼らは有名な言葉として「七代先の子孫にを考えて決定する」といいます。
次世代三世代先ではなく七代先ということに意味があります。
「私たちが、今ここにいられるのは七代前の先祖が子孫のことを考え、水を、土地を、空気を、森を、山を、緑を、動物を、魚を、守ってきてくれたから・・・。」考えるのだと主張します。
 
日本はもはやこの思想を持っているとはいえなそうです。
放射能垂れ流し、偽の愛国者が跳梁跋扈し、すぐに反韓反中だとか言って浅い差別心丸出し、農薬は山ほど散布し化学物質にあふれ、遺伝子組み換えは輸入しまくり、電磁波も世界一のレベルであり、経済は落ちぶれる一方で先のことは考えず、年金だ生活保護だ健康保険だと、すべて子どもたちに借金を背負わせることしか考えていません。
 
日本は昭和二十年までは「山紫水明の国」であり、海、山、森、川と自然に恵まれ子どもたちは自由さにあふれ、毒を撒くでもなく共存共栄の考え方がまだ息づいていました。
もちろん軍国主義や別の問題は存在していたかもしれませんが、家族を大事にしたりカネよりも名誉を考えたり、子孫のことを考えたりする土壌があったのです。
私たちは戦後七十年で完全に破壊してしまいました。
自虐史観結構、日本のどこに本質的に褒める場所があるのでしょうか。
 
あなたが死ぬときに、本当に心の底からあなたの家族や周囲の人が、泣いてくれるような人生を送っているでしょうか。
地球にあるものみなに目的があるように、あなたは死ぬまでに果たすべき高い目的をもっているでしょうか。
あらゆる垣根を飛び越えてあらゆる人種とあらゆる生物のため、働いているでしょうか。あなたは子どもとの約束を破ってはいないでしょうか。自分との誓いを破ってはいないでしょうか。

参照:https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/2354964707920602

シェアする

フォローする