【食の危険】食の危険性を煽る側にも問題があります。食の問題を取り上げて議論して解決していくということと、ただ極端に煽って全てが毒物かのように仕立て上げることは、また別の話です

0か100かではなく

例えばよくある話が、動物性食品(家畜のお肉)の安全性を考えると残留ホルモンや残留抗生物質などの問題があるため、これは危険だとして、基本的に摂らなくなった、というようなことです。

また、魚貝類は水銀や放射性物質の汚染が心配なので、基本的に摂らなくなったという人もいます。

この気持ちは確かに理解できます。事実、私もそう感じたときは、何度もありました。

しかし、まず言えることは、現代社会で完璧な食にありつけるということはほぼ不可能です。問題は、食の安全性や危険性に煽られ過ぎて食欲をなくしてしまい、極端に避けてしまうことです。そして、気づいたら低栄養状態になってしまったということもよくあり、それでは元も子もありません。

これは、食の危険性を煽る側にも問題があります。食の問題を取り上げて議論して解決していくということと、ただ極端に煽って全てが毒物かのように仕立て上げることは、また別の話です。

現代社会において、「ベスト」を目指すことはまず不可能です。その時その時の「ベター」な選択をすることが最善の方法です。

冒頭の動物性食品についても、長期でみれば確かにいくつかの残留の問題が潜んでいますが、短期的には少なくとも今の私たちの体を作る恩恵はあるはずです。一方で、タンパク質の恩恵があるからといって、質を考えずに何でもかんでも選ばずして食べるというのも、違います。

魚貝類についてもそうで、水銀の問題はあるにしても、そこは例えば小魚から中魚を選べば暴露量はかなり削減できるわけで、何よりもタンパク質やオメガ3の恩恵があります。また、毎日ではなく、週に何回までに食べるとか決めておけば、賢い選択となるのではないでしょうか。水銀はすべてが蓄積されるものではなく、上手にやればデトックスできるということも考えるべきです。

つまり、0か100か、良いか悪いかの二元論で判断するのではなく、メリット・デメリット両方を考えた上で、いまの自分が置かれた状況の中でよりベターな選択をするというのが、最良の選択だと思うのです。

どのようなものでも、恩恵と損害、こうした二面性はどちらもあります。0点か100点かの、どちらかで判定するのではなく、いまの自分と照らし合わせて判断していくのがより良い選択だと思えます。

参照:https://www.facebook.com/nobunaga.yoshitomi/posts/1201058700074496

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