【ピダハン族】「今の瞬間」のみを生きている民族の言語と思考…過去を後悔することも未来を不安に思うこともない。神という救いなどいらない。

記憶を考えるとすると、時間軸との関係はきってもきれない関係。

現代世界では、「今の瞬間」を生きており、未来と過去の概念がない、言葉も用いていない民族がいるよう。
つまり過去を後悔することも未来を不安に思うこともない。とても興味深い民族。

以下引用
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今、この瞬間にしか生きていな民族-ピダハン族の言語と思考

■ピダハン族とは?
ピダハン族とはアマゾン川支流の一つであるマイシ川沿いの4つの村に住んでいる少数民族だ。
外の世界との接触を拒み、300年前に金を求めてきたポルトガル人と接触したという記録があるのみだ。 

だが1950年にはしかが流行し伝道師を受け入れることになった。日本ではNHKが「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」として番組で取り上げられ注目されることになった。

■ピダハン語とは?
ピダハン語には言語学上の論争を呼ぶような要素が様々含まれていることが判明している。 以下特徴を上げる。

・左右の概念がない。
・明暗以外に色を区別する言葉がない。
・過去や未来を表す言葉がない。
・男や女という性差を表す言語がない。
・兄弟姉妹より離れた親族を表す語がない
・口笛や鼻歌にもできる ・交換的言語使用がない。「こんにちは」「さよなら」「ご機嫌いかが」などの人間関係を維持するための言葉がない。
・別の文や句のなかに現れる入れ子構造は「再帰」と呼ばれ、言語に無限の創造性を与える基本的な道具であると考えられてきた。これがピダハン語には見られない
・個人中心ではない見方、周りの空間、環境を中心とした世界の見方。

■ピダハン族の思考

①今の瞬間を生きる
言語に未来型と過去型がないということは、未来と過去を考える事ができないのだ。つまり過去を後悔することも未来を不安に思うこともできない。 

この瞬間にしか生きていなのだ。 

②区別のない世界観
他人と自分を分けてしまう事は、怒りや嫉妬、差別、悩みなどを生み出す。 しかしピダハン族は「他人と自分」、「自分と世界」などの区別が曖昧なのである。 

手はつながっているので自分の手というに認識がある。それと同じように他人も、流れる川もそびえる山も自分の一部として感じているのかもしれない。

進歩か?退化か?

人間の悩みは過去の後悔、未来への不安、そして人間関係に分類されるという。

彼らには過去も未来も存在せず、他人と自分の区別が明確に存在しない。ということは人間が本来持つ苦悩が存在しないのだ。 

キリスト教の宣教師が彼らの元に訪れたが、彼らの心には響くことがなった。彼らには悩みや不安がない、だから神という救いが必要なかったのだ。 

ピダハン族の言語、思考は進歩なのか?それとも遅れている民族なのか? 豊かになれば人の苦悩の質は変わる。

現代の日本では多くの人が心に悩みや不安を抱えている。 

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=341743

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