体の中の「庭師」…腸内細菌の多様性を維持する方法

「私たちの体は庭のようなもので、私たちの意志の力は庭師のようなものだ」

 これは人間の情動の作用について、シェイクスピアが『オセロ』の中で使ったセリフである。筆者はこのセリフを思い出すとき、猫の額ほどの自宅の庭のことが頭に浮かんでしまう。庭を美しく維持するのはどれだけ狭かろうが、日々のたゆまぬ手入れが必要で、気を緩めれば園芸品種以外の何種類もの植物(雑草)が繁茂し始めてすぐにジャングルと化す。人間も庭も、易きに流れ自然へ還ってゆくのだ。

○ 私たちの体には「庭」がある

『オセロ』のこのセリフ、現代医学においては単なる比喩ではない。というのも、私たちの表皮、口腔、腸管などは実際に微生物にとっての「庭」だからである。特に腸管は常に約37℃に保たれ、水分も栄養分も途絶えることがなく、まさに細菌を増やすのに適した庭ないし農場といえる。それゆえに、腸管には1000種類以上の細菌が、100兆から1000兆匹もいるらしいことが分かっている。これはヒトの体の細胞の数よりも何十倍も多い。

 私たちは意図しないところで、いつのまにか大量の細菌を腸管で培養(栽培)しているのである。

 栽培とくれば、やはり農耕の神「セレス」が登場することになろう。セレスは普段は温厚な神であるが、怒らせると人々に飢餓をもたらす。セレスの娘プロセルピナが冥界の神プルートに誘拐された際には、天界から地上へ隠遁し、大地はすっかり荒廃してしまった。セレスは栽培や食料生産にもっとも関係の深い神である。

 さて「いつのまにか増殖している」という言い回しから、腸内の細菌は庭における雑草のような「無用な存在」の印象を与えたかもしれない。しかし、まったくそんなことはない。腸内の多種多様な細菌は、私たちの身体機能と切っても切り離せない関係にある。

○ 栄養素をつくる、病原菌を抑える・・・体に作用する腸内細菌

 まず、腸内細菌には人にとっての栄養素を生産するものがいる。栄養素は食品から摂取しなければならないと長らく考えられてきたが、いくつかの水溶性のビタミンは腸内細菌が供給していることが分かっている。とくにビオチンは、極端な偏食をしないかぎり、腸内細菌が合成するおかげで、欠乏症になることはまれである。

 また、腸内細菌が合成する短鎖脂肪酸は、エネルギー源として体に吸収されるだけではない。病原菌の成長抑制、腸内環境の安定化、腸管の蠕動運動促進などの多様な働きを持っている。

 前回の「戦闘の神マーズ篇」で紹介した腸管免疫においても、腸内細菌は極めて重要な役割を担っている。腸管の粘膜部分に特異的に生息する細菌は、病原性のある他の細菌の侵入を防ぎ、腸炎などの発症を抑えることに貢献している。あるいは細菌が合成する化合物が免疫細胞を刺激し、異物を攻撃する抗体「免疫グロブリンA(IgA)」の産生を促進させるというようなことも起こる。

○ 脳の働きにも影響を与える

 肥満や糖尿病と腸内細菌の関係についても、さまざまな研究がなされるようになってきた。きっかけは、生まれながらに完全に無菌状態のマウスに、太ったマウスの持つ腸内細菌を移植した結果であった。腸内細菌を移植された(無菌状態だった)マウスは、食べる餌や運動の量はいっさい変わらないのに、みるみるうちに太り始めたのだ。この結果は、腸内細菌の存在が体内の代謝に大きな影響を与えることを示唆している。

 同じく無菌マウスを使った実験において、腸内細菌と脳の働きとの関係も分かってきている。無菌マウスは、通常のマウスに比べて、恐怖をあまり感じない「大胆な性格」であることが分かっていたのだが、出生後、早い時期の無菌マウスに通常のマウスの腸内細菌を移植すると、普通の慎重な性格に成長していくことが分かった。腸管の神経系は中枢神経に次いで巨大で複雑なものなので、腸内細菌が脳に影響を与えているとしてもまったく不思議ではない。

 このようなマウスでの現象は、ヒトでも起こっているのだろうか。無菌人間を作れない以上、その厳密な検証は難しい。しかし、少なくともヒトの腸内細菌の構成が肥満や糖尿病、そして精神疾患と相関関係を持っていることは、徐々に明らかになりつつある。

○ 庭も千差万別・・・善玉菌の働き方は人による

 ここで「健康によい」と巷で喧伝されている善玉菌(乳酸菌やビフィズス菌)が、腸内でどう働いているのか、気になっている方もおられよう。意外に思われるかもしれないが、そうした善玉菌の健康への効果は総合的に見れば「人によって異なる」としか言いようがないものである。

 というのも、各人の腸内環境は千差万別であり、当然ながら腸内細菌の構成もさまざまだ。つまり、善玉菌の摂取と健康との相関を見ようにも、要因が多すぎてはっきりしないことが多いのだ。

 これは、「同じ種子を撒いたとしても、どんな庭でも同じように草木が生育して綺麗な花を咲かせるわけではない」ことと、通じるところがある。大輪の花を咲かせ、枯れさせないようにするには、種子だけでなくやはり土壌の質や肥料、日々の管理も重要な要因となる。

 ということで、腸内細菌の多様性を維持するための土壌や肥料に当たるのが、食物繊維やオリゴ糖である。これらの成分は現在「プレバイオティクス」と呼ばれ、プレバイオティクスを定常的に摂取することが、腸内細菌の構成の安定化に必須であると分かっている。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=341411

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