【オウム事件】第7サティアン突入に関わった唯一の自衛官「麻原彰晃以下の事件として幕が下ろされたがオウムの背後にはなにがいるのか?」

平成7年3月20日地下鉄サリン事件

 地下鉄サリン事件前夜、私は長男と次男に寝かせ付けの絵本を読んだあと、
生後5ヶ月の三男の授乳を終えてリビングに戻った妻に伝えました。

 「明日から三日間は連絡も取れない。どこに行くかは言えないが、やがてテレビでわかるだろう。
  もし、四日目に連絡がなければ、俺のことはあきらめて三人の子供はよろしく頼む」

 四日後には、その官舎から鳩ヶ谷市のマンションに引っ越すことも決めていました。
その引っ越し作業もすべて妻一人におんぶにだっこで任せるほかありません。

非常時の自衛官の宿命です。

結婚以来、当事は社会的に日陰者だった自衛官の妻として、
しっかり家庭を守って尽くしてくれていました。

その恩返しもしないまま、これが最期になるかも知れません。
結婚して初めて深々と頭を下げました。

 その翌朝、自転車で杉並区の和田官舎から青梅街道を霞ヶ関に向かいました。
陸上幕僚監部で運用(作戦)幹部として勤務していたので、
前夜最終電車に間に合わず、自転車で帰宅していました。

同年1月17日には、阪神淡路大震災も生起し、
運用責任者として神戸の災害現場と陸上幕僚監部の作戦室勤務を交互に行う等で、
深夜遅くなり自転車で帰宅する機会が増えていたのです。

これが明暗を分けて幸いしました。

 地上の自転車と併走する青梅街道地下の丸ノ内線がやられました。
3経路計5編成車両が化学兵器による無差別テロを受けた地下鉄サリン事件です。

その死者13名、負傷者約6300名。
その中には、私と一緒に二日後に、つまり奇しくも私の40歳の誕生日の3月22日に、
上九一色村のオウム真理教サティアンへの警察の強制捜査を一緒に同行支援するはずであった
防衛大同期の情報幹部田上2佐も含まれていました。

彼が入院し、結果として自衛官で私一人が第7サティアンに入ることになったのです。
報道では強制捜査の攪乱と言われていますが、実際は捜査員を狙った個人テロでした。
警察の動きが「彼ら」には筒抜けだったということです。

 松本サリン事件から

 その前年6月27日。死者8名、重軽傷者660人の松本サリン事件が勃発していました。
その事件現場の土壌と、異臭事案が起きていた上九一色村の土壌のサンプリングを
陸上自衛隊化学学校で分析したところ、見事に「サリン」が一致しました。

人工化学物質であるサリンは、人間の指紋が一人一人違うように、
生成過程により微妙に化学組成が違います。

それが一致したと言うことは、松本サリン事件はオウムが実行犯であると言うことを意味します。

 要するに、地下鉄サリン事件はオウムの犯行であることを、
動かぬ物証として自衛隊が警察に提供したわけです。

ところが、警察はなかなか強制捜査に踏み込みません。
親しい刑事に聞けば、「上から、オウムには手を出すな!」と指示がきている…!

 十数年後、退職した彼から手紙が届きました。

「地下鉄サリン事件は、警察(筆者注:日本)の上層部が腐っていたから起こった。
 でも、警察の上層部だったので13人の被害ですんだ。
 もし、自衛隊の上層部が腐れば日本が滅びる。自衛隊だけは腐らないでほしい」

 警察の調整(作戦)会議

 その警察もやっと強制捜査に乗り出すことになり、
いわゆる「作戦会議」が行われ、自衛官としてただ一人私も参加しました。

 …サティアンの中には、ドラム缶700本の薬剤、旧ソ連軍のヘリコプター、
  その他武器、弾薬がある。
  もし、彼らが強制捜査に抵抗し、彼ら本来の目的である「日本壊滅」を図ったら?

 何よりも、ドラム缶をへりに積んで、新宿、渋谷等の繁華街に撒けば、
1本で100万人が死ぬことになります。

自衛隊の作戦会議なら、万一に備えて徹底して「敵の可能行動」と「最善の我が行動」が分析され、
かつ全員に徹底されます。

万一作戦途中で指揮官や幹部が戦死(殉職)しても、
残った隊員で最期まで「任務完遂」できるようにするために。
 
 ところが警察の作戦会議では一切そのような分析が行われなかったのです。
なんらオウムに関する情報さえ出ません。

会議終了後、警察の総指揮官に、どのような事態を考えているのか聞きました。

「最悪の場合、最初に封鎖に向かう機動隊員50人~150人が死ぬかも知れない。
 でも、我々はその上で泥縄的に対処するから」

「では、へりが飛び立ったら?」

「その時に考える」

 
 命よりも重い任務

 災害派遣においても、消防・警察と自衛隊の行動とは、
明確に「心(活動)の準拠」が違います。

消防・警察は救助活動で自ら犠牲者を出すことは許されません。
人命は地球より重いと言われます。

ところが自衛隊は命よりも重いものを背負って行動します。
「任務」そして「国家」です。

任務遂行には、「戦死」も想定内です。
仮に尖閣列島防衛に出動して戦死者多数を出しても、
戦闘終了後、最期の一人の自衛官が日の丸を振っていれば、
任務は達成されたことになるのです。

それ故、状況が厳しく消防でできないときは、後ろを見て警察に依頼します。
その警察が危険でできないときは後ろを見て自衛隊に依頼します。

自衛隊は後ろを見ても誰もいません。
自衛隊が「できない」時は、日本の「終わり」を意味します。

そういう「使命観」で自衛官は行動するのです。

当事、陸上幕僚監部の作戦(運用)幕僚は、班長以下10名。
その10名で日本の防衛を考えていました。気持ちは黒田官兵衛です。

『へりが飛び立った時、どうするか・・』

 …上九一色村から都内までへりなら30分もかからないだろう。
  飛び立ったときに仮に警察から対処を依頼されても、物理的に間に合わない。
  何よりも日本の首相がタイムリーに自衛隊に「出動命令」を出すことは望めない。
 
 因みに当事の首相は社会党の村山首相でした。
阪神淡路大震災発災後4日経っても、何ら指示も出さず、
通常通りのミーティング等をこなしていて、さすがに記者から指摘された逸話があるほどです。

より根本的な問題として、「国軍」でない自衛隊は、
法律上普段から領土を保全する権限を持っていません。

すべてが警察の掌中です。
自衛隊は、知事の要請か、首相の命令がないと駐屯地から動けません。

毎日のようにおこっている中国や旧ソ連・現ロシアの軍用機の対空侵犯に対する航空自衛隊のスクランブルも、
「正当防衛」「緊急避難」という警察官の職務遂行の権限行使で対処しているのです。

海上保安庁にしても、
尖閣列島や小笠原諸島の日本領海内での珊瑚等を違法操業する外国船に威嚇射撃さえできません。

いずれも、万一の時は「先ず撃たれる」という自己犠牲の上での任務遂行です。

日本側からは絶対的に撃ってこないことがわかっているので、
平然と侵犯も略奪も拉致も自由に堂々と行えるわけです。

もし、通常の国家のように、任務遂行のための射撃ができるならば、
日本の領空・領海・領土を侵犯する輩など一切いなくなるでしょう。

それが国際関係の「常識」です。

戦後、そのような戦略的あるいは兵学上の知識や学問が、
「彼ら」の日本弱体化施策の一環として、
教育やメディア等を通じ日本人の頭から消去されていることさえ気が付いていないのです。

戦前あった先人が極めた戦略書等約7700冊が
GHQにより焚書された事実も日本人には知らされていません。

 …いずれにせよ、へりで薬剤を撒かれることは絶対的に阻止しなければならない。
  100万人の国民の命にかかわる。

 そこで「ハラ」を決めました。

「飛び立ったら、直ちに陸上自衛隊の攻撃へりAH-1で撃墜する!」

 その為の攻撃へりをあらかじめ近傍の駐屯地に準備する。
民間へりを落としたと言うことで国民から非難があがるときは、
この決定をした課長以下運用3人がハラを切って国民に詫びよう…。

その決意も秘めて、これが最期になるかも、
と地下鉄サリン事件前夜に妻に深々と頭を下げたわけです。

 真実の先に…

 あれから20年。
誰がオウム捜査を中断させようとしたのか。

オウムの背景になにがあるのか、一切表に出ることはありません。
裁判のみならず、メディアもすべて麻原彰晃以下の事件として幕が下ろされてしまいました。

「彼ら」の情報支配下にある植民地国家・日本ならではです。
フランス等の公安関係が、日本を「カルトが支配する国」と評価する所以です。

だが解き明かすヒントはあります。
「彼ら」が、テロ集団としてのオウム真理教のトップに使いたかったのは、
麻原のようなぼんくらではなく、
科学・芸術・医学等で世界的には著名な五井野正博士・画伯であったのです。

もちろんそうならなかったから、博士が抵抗してくれたから日本は未だ健在なのです。
日本の真実を知る意味でも、是非「重大な真実」(ヒカルランド)も参照してください。

これらの真実が解かれて広まるとき、日本そして世界の夜明けが始まるのです。

http://ikedaseiji.info/2015/02/post-328.html

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