「ありがとう」は相手への感謝の言葉だけではない。・・・失われる古来日本人の言葉と信仰

日常的に使う言葉、「ありがとう」。
現代人の多くが使う「ありがとう」はその対象が、恐らく感謝する相手だけではないのでしょうか?
若者言葉と違って日本人の心と身体に沁みついた言葉だと思っていましたが、古来の日本人が用いていた「ありがとう」はもっと対象が広い言葉だったようです。

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●航空用語ならば機能性優先、しかし言葉は単なる道具ではない

言葉とは何のために存在しているのでしょうか?

言語の機能性を究極にまで高めているものとして航空用語が挙げられます。
今は英語が使用されていますが、人の命を預かるわけですから、徹底的に無駄を省き明瞭でなければなりません。

一方で、日本には言霊(ことだま)という信仰がありました。言葉には現実を変える力があるということが信じられてきました。

つまり、意図や意思を相手に伝える「道具」としてだけではない、もっと深く豊かな意味がありました。

ところが、現代ではその言葉の道具化が顕著で、家庭の会話ですら相手に意志を伝えるだけのものになってしまっていると思います。

そもそも日本人は特に、言語的に天才です。

古来、日本では中国伝来の漢文が主流でしたが、その漢字を音と訓をたくみに混ぜ合わせて、万葉仮名の方法で日本語を根本から崩すことなく取り入れてしまったのです。

さらには漢字を解体してひらがな、カタカナに。また、返り点、レ点を作り出して、日本流に読み下す方法まであみ出してしまう。

明治維新以降、西洋語が押し寄せる状況のなかで、やまと言葉を温存しながら西洋語をカタカナにして、よそ者として扱いつつすっかり日本語化してしまうという芸当までやってのけたのです。

本家の中国でも古い文字が読めなくなる中で、日本は言語の健全な維持体制ができあがっていると言えます。

ただ残念なことに、昨今のグローバリゼーションの波のなかで、言語の文化的な側面が失われ、道具化の傾向が顕著です。

「道具としての言葉」が発生したのは日本の歴史からみたらはるか後世のことで、明治維新以降のこの150年のことだと考えてよいと思います。

そこで日本語の源である「やまと言葉」の代表的なものから、その日本人の魂の古層を考えてみたいと思います。

●明治時代に復活した「ありがとう」は真の意味を忘れてしまった

何よりも日本人が大好きな言葉が「ありがとう」です。これは代表的なやまと言葉の一つです。

みなさんはどんな時に「ありがとう」と言いますか?

この「ありがとう」という言葉は現在では平板な使われ方がされ、何か他人から与えられた時、何かをしてもらった時に「ありがとう」と使います。

つまり、他者と自分との関係性のなかだけで使用されています。

ところが、「ありがとう」にはこんな場面もあります。

初日の出を見ます。その時に、なぜか日本人の心に浮かんでくる言葉が「ありがとう」です。

あまりにも美しいもの、自分を遥かに超えたものに出会った時、その時の感激がそのまま「ありがとう」という言葉として出てくるのです。

もともとは「相手がありがたい」のではなく、そういう状況を与えてくれた第三者、つまり神仏や運命に対して「有り難し」の思いだったわけです。

有ることが難しいのに、なぜこんなことが起こったのだろうか? その状況に対する神仏を含む第三者への純粋な感謝なのです。

以前に私は四国のお遍路をやりましたが、最後の八十八箇所目、香川県の大窪寺では、歩ききった人たちが誰にともなく互いに心の底から「ありがとう」「ありがとう」と言い合う光景に出会いました。

これは、単に相手が何かをしてくれたことに対して感謝しているのではありません。

八十八箇所巡りは全長1,400kmほどありますが、一箇所ごとに必ず登るから大変なのです。また室戸岬から足摺岬までの区間は札所間が離れており特に苦しい。一つの岬を数時間かけて越すとまた岬が遥か遠くに見えるといった具合です。

この苦しいところをいくつもやりきったところに、この「ありがとう」が出るわけです。

巡礼に限ったことではなく、駅伝やバレーボールなどでもなんでもそうです。

一人の人間を超えてみんなが一体となって国難を乗り切った時に、「なぜこんなことがあるんだろう、有り難し」という世界のなかで、人はお互いに「ありがとう」い言い、涙を流すのです。

「有り難し」の世界には、災厄など限界状況から逃れた時、はるか古代からの神聖な存在に対する畏敬の念のようなものが現れています。

自分の自我という枠を完全に忘れ、自分の体と心と言葉が一体になっています。

古くから存在していた「ありがとう」に対して、江戸時代には感謝を表すために「かたじけない」が使われていました。これは身分の高いものに対する恐縮の意を表すもので、当時の身分制度の影響です。

身分制度が希薄となった明治以降に、「ありがとう」が復活するという現象が起こりました。

神仏に対して使われていた「ありがとう」が人と人の間で使われる一方で、神仏に対する信仰が薄れていくことで、この言葉が形式的なものとなり、さらに「ありがとう」すら省略され、「ども、ども」といったような平板化の経緯をたどることになったのだと思います。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=335445

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