日本人は江戸時代~明治時代に何を失ったか、そしてこれから何を取り戻すべきか。

江戸時代に日本人はなぜ海外から幸せと見られたか?日本人が明治に入って失った最大のものは何か?

海外から来た外交官は口々に「日本人ほど幸せな民族はない。誰もが明るく、礼儀正しい。そして子供たちは世界一幸せそうだ。」と語ったと言う。なぜ江戸時代の人々が幸せだったのか?豊かだったのか?

江戸時代は村落共同体の集団がしっかりと残っており、かつ地域は自治を認められ、自らの生きる場を自ら作る拠点があった。大半の課題が皆の課題であり、地域の集団に守られた中で子供も女達も安心して生活していた。そこには集団の期待があり、規範があり、規律があった。江戸時代の幸せ社会の実現基盤となっていたのは、共同体の不文律規範に他ならない。
不文律規範とは「何も言わなくてもわかっている」集団規範である。
或いは親から子へ、集団から個へ伝承される慣わしであり、守るべき「仁や徳や志」に他ならない。
この不文律規範を軸に集団として結束し、仕事も教育も生きる価値や意味さえ何も迷わず考えずに個に染込んでいた、それが江戸時代の日本人の姿だったのだろう。

明治以降、西欧化と個人主義が入り込む事で失われたのが共同体であり、共同体によって確固たるモノになっていた、この不文律規範である。

しかし、現在でも日本人の中には”不文律規範”はまだ残っている。
共同体的集団性が解体しつつも各個にまだ残っているのと同じように、成すべき事、してはいけない事は法で決められていなくても持っている。人の役に立ちたいもそうだし、自然の摂理に従うもそうである。
今の日本人は江戸時代の正反対で最も不幸な民族に世界からは映っているかもしれない。

私たちが次代に向けてなすべきは集団の再生と同時にその前に不文律の再生ではないだろうか?誰しも言葉にはしないが心の奥底で求めているもの、それが次代の不文律になる。
誰もが求めている「社会、集団をどうする?」を夫々が考え追求していくこと。その志を持っているか否か、それが次代の不文律規範になっていくように思う。

 

シェアする

フォローする