『「外部からの援助は人間を弱くする」というスマイルズの言葉 』 (リンク)より転載
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サミュエル・スマイルズの著書『自助論』には、冒頭にこのような言葉が書かれている。
「外部からの援助は人間を弱くする。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人間をいつまでも励まし元気づける。人のために良かれと思って援助の手を差し伸べても、相手はかえって自立の気持ちを失い、その必要性も忘れるだろう。保護や抑制も度が過ぎると、役に立たない無力な人間を生み出すのがオチである」
外部からの援助が人間を弱くするというのは、現代社会でもよく見られる現象だ。
たとえば、難民キャンプで支援漬けにされた難民たちの中には、結局は支援を受け続けることに慣れてしまい、自立を忘れて援助にすがって生きるしかなくなってしまう現象が見られる。
支援は「自立するまでの一時的な措置」であるにも関わらず、あまりにも援助が続くと自立する気持ちがなくなって、無力になってしまう。
先進国では生活保護という仕組みがあって、一時的に生活に支障をきたしてしまった人たちがそれを利用する。
それは、生活に問題を抱えてしまった人たちを救う重要なセーフティーネットである。
■自立する気持ちが消えて無力になってしまう
ところが、その一部には生活保護を受けることに慣れてしまい、結局は保護を受けることから抜けられなくなってしまうという現象もある。
援助を受け続けて、自立する気持ちが消えて無力になってしまうのだ。別の言い方をすると「無力であり続けること」を選んでしまう。
もちろん、すべての人がそうではないし、大多数の人は生活保護を受けながら生活を立て直して、再び自立した生活へと旅立っていく。
しかし、援助を受け続けると無力化して、「社会が悪い、時代が悪い、国が悪い」とつぶやきながら、意味もなくずっと援助に頼ってしまう人が出てくるのの事実だ。
人生は自分の思う通りにいかず、誰もが何らかのハンディを持って生きなければならないが、些細なことでつまづいて、ニートや引きこもりになってしまう人間もいる。
通常は、生活が差し迫っているので、ニートや引きこもりになるような余裕はない。自分の食い扶持は自分で稼がなければならないので、否が応でも働いて稼ぐしかない。いつまでも、打ちのめされている暇はない。
ところが、親が「可哀想だ」と自分の子供を「自立するまでの一時的な措置」と思って、自宅の一室に引きこもるのを許してしまうと、何もしなくても食べていけるという状況が生まれていく。
そして、親の無償の援助に慣れていくに従って、ニートや引きこもりになった人間はそこから抜け出せなくなってしまうのである。まさに、「無力であり続けること」を選んでしまう。
すべての親は子供が自立し、自分の手で夢や希望や自分らしい生き方をつかみ取って欲しいと願っている。
しかし、「一時的に」と思った援助に子供が依存し、それに慣れすぎてしまうと、すっかり自立する気持ちが消えて無力になってしまう。
サミュエル・スマイルズが自助論を書いたのは1859年である。すでに一世紀半が経っている。この時点で「外部からの援助が人間を弱くする」という問題点は指摘されていたということである。
■「援助を受け続ける」方向に最適化してしまう
(中略)
「援助を受け続けると無力化する」というのは、言って見れば社会的に「寝たきりになっている」のと同じ状況である。
あまりにその状況が長く続くと心身は無意識に「何もしなくても生きていける」と判断するようになり、「援助を受け続ける」方向に最適化してしまうのである。
「援助を受け続ける方向に最適化する」というのは、要するに自立しない方向に最適化するという意味でもある。
具体的にどうするのか。
それは、自分がこうなったのはすべて「他者のせい」にして、「自分はその犠牲者や被害者である」と訴えることで成し遂げられる。
「自分がこうなったのは親が悪い、学校が悪い、まわりにいる人が悪い、社会が悪い、国が悪い、環境が悪い、時代が悪いので、自分はその犠牲者であり被害者だ」
社会の犠牲者や被害者になることに成功したら、このように続ける。
「被害者なのだから援助を受けるのは当然であり、それをしないのは差別だ。差別するな、差別は反対だ、援助しろ」 |