日本病院史における外圧の変化と病院の遍歴 ①

日本の病院史について概要を箇条書きで列挙。

注目すべき点は以下の5つ
①東洋医学から西洋医学への転換。要因
②近代国家、帝国主義下での『病院』
③日本独自の医療体制の確立
④戦後から現代に続く『医療関係法』の成立
⑤豊かさの実現から医療環境の変容

◆奈良時代~
・飛鳥奈良時代、中国朝鮮半島より医療文化伝わる。
・公式上415年允恭天皇が新羅の医師に治療されるのが最初の治療記録。
・百済、新羅、高麗、中国との交流の過程で医療技術が伝来・発展する。
・聖徳太子が建立した四天王寺には『敬田院』『療病院』『悲田院』『施薬院』の四か院があり、説法を説く『敬田院』以外の三か院が日本で最初の公的救済施設。
・『療病院』は現在の病院の起源と考えられる。
・『悲田院』は身分の無い者の収容施設。
・『施薬院』は薬草の栽培と薬を施す施設⇒漢方医学の祖。後継者が無く廃れるが、安土桃山時代に秀吉により再興される。また、江戸時代にも再興される。
・この時代の医療は仏教と密接に関わっており、唐との交流で栄えていく。仏教の博済慈恵の精神と合致し、僧侶が学問として医術を学び、医療活動を行う。
・平安時代初期は宮廷医の施薬院使一門を藤原氏が独占するが、その後丹波氏が世襲していく。⇒皇室医学として根付く。

◆室町時代~
・鉄砲伝来、キリスト教伝来に続き南蛮医術が伝来する。
・ザビエルにも医術の心得があり治療を行った記録があるが、本格的な南蛮医術の伝来は現在の大分県大分市に来日したポルトガル貿易商人アルメイダによるもの。
・私財を投じて病院を設立し、西洋薬品の使用や外科手術等が行われた⇒日本初めての外科手術。
・その後、外科を中心に臨床医学教育も行われる⇒日本最初の医学校。
・ただし、日本全体で見ると例外的なもの。体系だったものではなく、普及もしなかった。

◆江戸時代中期~
・江戸時代は漢方医学が主。しかし、一方で漢方に外科は無いため、鎖国体制の中で蘭学が学理技術として採用され外科が進歩する。
・以降幕末まではオランダ又はポルトガル人によって西洋医学が伝習される。
・町には医者(漢方医)が居たが無資格医。医療費はそのまま薬代であったため薬師とも呼ばれる。
・社会的な身分は低く、職にあぶれた者が「医者にでもなろう」と思いなった模様。
・幕末には江戸に1万2~3千人と多くの医者が居た。
・この時代に患者を収容する施設としての病院はほぼ無く、医者が患者宅に通う問診制。
・17世紀中期からは全国に医術学校が置かれ(276藩中98藩が医学教育、医療制度を持つ)医療教育は盛んに行われるが病院のような収容施設はなかった ⇒ 医学校が豊富にあったのは、幕藩体制(封建政治)であったため各藩異なる文化・技術を持ち、医学についても各々の藩で体系化させる必要があったから。 ⇒ 現代の民間病院が大部分を占める日本の医療の源流になっている。
・吉宗の時代、目安箱への投函した意見を元に漢方医の病院『小石川療養所』が設立 ⇒ この時代に病院が建てられるのは極めて稀な例。

◆江戸時代後期~
・ペリーの黒船来航(外威圧力)から開国・西洋文化技術の伝習が進められる。
・長崎に『医学伝習所』が開設される。幕府が軍事養成を目的とした海軍伝習所の一教場でオランダ海軍軍医ポンペが教官。
・化学、物理学の理解を経て臨床医学を学ぶ幕府立医学校。⇒病院を教育・研究の中心とする体制
・同時期日本の子供に天然痘の牛痘種痘が成功し、1年間の間に種痘が日本中に広がる
⇒先端西洋医学、公衆衛生による伝染病の予防。
・当時のオランダ植民地支配の考え方で土着民の健康管理は宗主国が負うものと考え、また原住民の医師によって行われるのが望ましいとした。(魚を取ってやるのではなく魚の取り方を教える) ⇒ その思想がそのまま日本に採用され、オランダ医師によって日本人医師が育成される。
・当時の日本には病院施設という思想が無かったが、アメリカ船から持ち込まれたコレラの流行によって
①衛生設備を完備した施設に患者を収容し臨床治療する必要性 
②医術の実施教育の必要性
③屍体解剖での解剖学研究の必要性
④図書室・化学実験室・外科機器室の必要性
から上記の医学伝習所付属病院が設立される ⇒ 日本初の本格的西洋式病院 ⇒医学校と付属病院が明治初期の基本スタイルとなる。
 ※ちなみに長崎医学伝習所は様々な遍歴をたどりながら現代の長崎大学病院に続く。

・一方民間では各地で蘭方医が西洋医学教育を学ぶ私塾(ex適々塾、和田塾)を開設し、伝染病(天然痘、コレラ)の治療法を広める。これらの活動から次第に民間病院が誕生していく ⇒ 日本最初の近代私立病院 順天堂医院 (現在の順天堂大学)など

・江戸後期でも医学の中心は漢方医学(皇室・幕府の医学は漢方)だったが、この時期に西洋医学との対立が起こる。
・政権が外科、眼科以外の蘭方医禁止令を出すなど政治的には漢方医学が勝利したが
・種痘法の普及、コレラの流行などにより防疫知識の重要性が日本人に認識される ⇒ 西洋医学の時代に移る。

 

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