日本の政治経済と被差別部落を裏で支配する秦ネットワーク

秦氏=部落民・在日
リンク より

古代AD701年の大宝律令の制定によって日本の律令制が加速し
中央集権国家として官僚制による地方政治の統治が確立した。

そして朝廷で官僚として政治を司っていたのは半島からの渡来人で超ばっくり分けると百済系と新羅系の二大勢力その二派がその時々の天皇を味方に引き込み、他方を排斥するということを繰り返してきた。

わかりやすいのが平氏・藤氏=百済、源氏・橘氏=新羅

AD794年の平安遷都にて時の桓武天皇に取り入った百済系氏族が
それまで官僚として表舞台で政治を取り仕切ってきた新羅系氏族の多くを排斥し政治の表舞台から追放しただけでなく尊卑の位の卑の地位に一部の新羅系氏族を落とした。

そのときの卑の位が現在の被差別部落に繋がっているというのが有力な説新羅系氏族は当時の科学芸術神事医学分野において世界トップレベルであったのでそのまま建設土木治水製鉄演芸生物解体などが被差別部落民の主な生業となった。

卑の位に落とされなかった例でわかりやすいのは神事仏事を司る役職
卑の位とせずにそのまま新羅系氏族に引き継がせた。

新羅系氏族で超一大勢力を誇っていたのが秦氏一族で日本の神社の9割以上の神官宮司は今でも秦氏による世襲である。

八幡神社、稲荷神社、白山神社などすべて秦氏のものであり現在の皇室に関わる神宮の神官宮司なども秦氏系学習院などの皇族系教育機関や皇宮警察などの長も秦氏系氏族の世襲が現代まで続いている。
ちなみに仏教を日本に伝来させたのも秦氏で古代は神仏分け隔てがなかった。

関西において被差別民の多くが寺社の管理下に置かれていたのはそういう背景があったから

関東では穢多頭の弾左衛門の支配下で各地域ごとに非人頭をおいて被差別民を管理していた。
弾左衛門は秦氏族であり白山神社を信仰していたのもそのせい。

関東では非人頭を長吏と呼ぶが、関西では寺社の首長僧を長吏と呼ぶ
天台宗や真言宗の総本山の延暦寺、三井寺(園城寺)、高野山金剛峰寺などの首長僧も長吏

長吏の大元は中国の漢代における官吏の呼称で、官位の高い者のことを長吏と呼んだ。

ちなみに秦氏は中国の秦の始皇帝氏族の末裔で朝鮮半島を経由して倭(日本)に移動してきたという節が有力でその大元はペルシャ系ユダヤ民族であると言われている。

現在の秦氏は国家という枠から離れ一族による秘密結社的なネットワークを形成しており日本の政治経済と被差別部落という尊卑の世界を裏で支配しておりその利権を手中に収めることにより日本社会をコントロールしているという節が有る。

世界経済を裏で操るロスチャイルド家の日本版ということ。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=333956

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