①の続きです。 『JAL123便墜落事故-真相を追う-31年目の真実』((新) 日本の黒い霧)リンクより転載します。 *文中の図や写真は、原文にてご覧ください。 —————————————————————- ■偽装自衛隊員と生存者への殺戮行為
123便事件関連記事を書いていて、最も気が滅入るのが生存者に対する非道な行為の数々です。その詳細は「闇夜に蠢く者ーM氏の証言」リンク中に示唆されているだけでなく、M氏の証言を裏付けるように、実際に墜落現場で軍用毒ガス瓶を回収していることが全てを物語っています。
写真4:現地で回収した軍用毒ガス瓶
ここで、昨年の記事「あれから30年、真実が語られる時」リンクに掲載した墜落現場での救出作業中の写真を再掲します
写真5:昨年掲載した写真
ここに映っている自衛隊員の襟元に注目してください。
写真6:全員襟のエッジが張っており、襟章が縫い付けられている。
隊服は全員同じように見えます。ところが、次の写真7を見ると、写真5と少し違うことに気がつきます。
写真7:別の隊員の写真
ここでまた襟元に注目します。
写真8:襟元の比較
①の人物は写真6と同じように襟のエッジが張り、襟章が確認できます。②の人物については襟元の確認はできませんが、肩の位置といい、袖の長さといい、服装自体が全く身体に合っていないのがわかります。この隊員は普段からこんな不格好な隊服を着用していたのでしょうか?③の人物については襟章がなく、左側(向かって右側)のエッジが湾曲しているように見えます。
写真9:子供を抱え上げる隊員
写真9は、抱えられた子供がこの時生きていたのではないかとネット上で騒がれたものですが、隊員の襟元に注目すると、襟章はなくエッジのたわみもはっきりと確認できます。
写真10:陸上自衛隊正規品のジャンパー襟元
ここで、全く同じ隊服ではありませんが、比較のために陸上自衛隊正規支給品のジャンパー(写真10)の襟元を見てみます。襟がたわまないよう、襟の裏にしっかりと縫製がなされています。念のため服飾の専門家に、これら以外の写真を含む現場隊員の隊服を見ていただいたところ、明らかに、他と比べ
粗雑な縫製の隊服を着た隊員が混じっているとのコメントをいただきました。
これはどういうことでしょうか?私は、あまりに急な出来事だったため、偽装自衛隊員へ正規品の支給が間に合わず、サイズの確認もままならないまま、粗雑な急造品が宛がわれたのだと推測しています。また、隊服が異なる者同士が集団で行動していることから、正規の隊服を着ていたとしても、それが必ずしも正規の自衛隊員であるとは限らないことを意味すると捉えています。
偽装自衛隊員については、123便事件について鋭い分析を著した角田四郎氏の「疑惑」(1993 早稲田出版)に、「大きな石の裏に、着替が詰められた袋が10数人分隠すように置かれていた」という著者本人の証言とも符号します。
では、昼間に堂々と現れたこの偽装自衛隊員は悲惨な墜落現場で何をしていたのか?これについては、M氏の証言に現れた暗視スコープを着用した(見た目)自衛隊員の集団とほぼ同じ目的であっただろうと推察されます。すなわち
(1)不都合な破片の回収と隠蔽 (2)生存者(事件の目撃者)の抹殺
の2点です。認めたくないことでありますが、上記写真が撮影されてることから分かるように、既にマスコミや地元警察、消防団など大人数が現場で活動している最中、彼らは目立たぬよう不都合品の回収や、生存者の抹殺を行っていたと考えられるのです。そうであればこそ、最初は7人と報道された生存者が、最終的に4人となったことにも合点がいきます。そして、その4人(全員女性)は、みな地元消防団員によって発見されています。衆人環視の中でおそらく彼らも手を下せなかったと考えれば、極めて辻褄の合う話です。
写真11:救出された川上慶子さん(当時12歳)。 彼女の周りに写っているほとんどは上野村消防団や機動隊員であり (偽装)自衛隊員ではない
写真5、7を見れば分かるように、この自衛隊員たちは、右の胸ポケットに隊服が肩からずれ落ちるほど、重く厚みのある長方形様の何かを忍ばせています。私の信頼する筋からは、それが「反応型炭素菌カプセル」との情報を得ていますが、本当に炭素菌かどうかは確認する術がありません。しかし、反応型の有毒物である可能性は極めて高いと考えられます。反応型とは、使用者に害が及ばないよう、また証拠にならないよう、単体ではそれぞれ無害のA剤、B剤を、人体に投入する直前に反応させ、毒物として使用するというものです。
彼らは一人の生存者(事件の目撃者)も残したくなかったはずですから。 —————————————————————- 続く |