枯葉剤は、四国でもまかれた

平成土佐日記より以下続き引用です 
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(枯葉剤とは何か)
 1961年から1975年までに、アメリカは、8万3600キロリットルの枯葉剤をベトナムのジャングルに散布しました。なるべく南ベトナム軍のパイロットを使ったり、民間機を使ったり、アメリカ軍の関与を表面化させないように工作しました。アメリカは最初から、枯葉剤の人体への影響を知っていたのです。それが化学兵器であることを知っていたのです。しかし、ジャングルの中のゲリラの動きを見るために、400万のベトナム人が枯葉剤を頭上から浴びせられました。まもなく、ベトナムでは多くの奇形児が生まれるようになりました。ベトちゃん、ドクちゃんは、あまりに有名です。集中散布地域のタンニンでは、1000人中64人の高率で奇形が発生しました。
散布したアメリカ兵も枯葉剤被害と無関係ではありませんでした。戦後、ベトナム帰還兵とその子どもたちにも異常が出てきました。1984年、枯葉剤製造会社に対し、4万人のアメリカ人が集団訴訟を起こしました。そして、製造会社は、被害を認めぬまま、補償金1億8000万ドルを支払う和解案に同意しました。和解を不服とする人たちが、1989年にふたたび訴訟を起こしましたが、却下されました。
枯葉剤は、24Dと245Tという除草剤を1:1の比率で混合して作ります。245Tは、日本でも生産されていました。245Tは、植物の成長ホルモンを過剰にして枯れさせる強力な除草剤です。アメリカは、245Tは植物対象なので化学兵器ではないと主張しましたが、人間にも健康被害が出ました。スウェーデンは、「奇形児出産の恐れがある」ということで、245Tの製造を中止しました。動物実験では催奇性が証明されています。人間で証明されていないのは、人体実験ができないからにすぎません。ベトナム戦争が激しさを増した時、アメリカの生産能力が需要に追い付かず、日本で作られた245Tが輸出されていたのです。

(枯葉剤の散布)
高知県では、1967年から1970年までに、その245T、1万5000リットルの乳剤と129トンの粒剤が国有林に散布されました。国有林というのは、およそ水源地のことでもあります。高知県の河川はどれほど245Tに汚染されたことでしょう。県有林、民有林でも実験的に10トン散布されました。
ベトナム戦争がアメリカの敗戦により予想外に早く終わったので、アメリカは、枯葉剤の不良在庫を抱え込み、その処分を日本に押し付けました。さらに、林野庁から枯葉剤を押し付けられたのは、16県1道ですが、高知県は、散布、埋設投棄ともに全国で1、2を争う多さです。16県1道の名前を列記すると、北海道、青森県、岩手県、福島県、群馬県、山梨県、愛知県、岐阜県、広島県、愛媛県、高知県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県です。人口集中地帯を外しているのは、原発建設の立地条件と同じ理由によるものでしょう。つまり、林野庁は、散布、埋設投棄の危険性は百も承知しており、そのリスクを田舎に押し付けたのです。林野庁の天下り先の中には、農薬製造会社があります。
高知県内では、四万十市(西土佐村)、四万十市(窪川町)、いの町(本川村)、北川村、大豊町、安芸市、土佐清水市、津野町(東津野村)、宿毛市、と県下全域に及んでいます。(かっこ内は、合併前の行政区画)県土全体が、枯葉剤によって汚染されたと考えるべきでしょう。

中略
(埋設枯葉剤の回収)
 いの町在住の山脇幸一さんは、かつて須崎営林署の組合委員長をしていました。その関係で、1984年当時、埋設投棄した人(営林署員)に案内させて、245Tの回収作業を指揮した経験があります。
「埋められていたのは、不入山(いらずやま)の8合目付近でした。1.5メートルくらい掘ったところから出てきました。一斗缶のような缶に入っていました。穴はあいていなかったです。臭いもしませんでした。回収して、しばらく須崎営林署の倉庫に入れていましたが、指示があって、高知市の営林局に持って行きました。その後その245Tがどうなったかは、私は知りません」
 不入山というのは、四万十川の源頭部です。仁淀川、物部川、吉野川でも同じことが行われていたようです。つまり、信じがたいことですが、よりによって、一級河川の 源頭部という最も避けるべき場所に245Tは埋設投棄されていたのです。

2013年6月25日、高知市の営林局に行きました。全国山林労働組合高知県本部・執行委員長の浜田嘉彦さんに会うためです。彼は、1984年、埋設枯葉剤が愛媛県など全国各地で流出していることが問題化した折、全林野四国本部・書記長として、林野庁と交渉にあたり、埋設枯葉剤回収の指揮をとった人物です。
 「当時、農薬使用に反対する全林野は孤立していました。林野庁だけでなく、マスコミからも批判されていました。学者は、およそ御用学者ばかりでした。『農薬を怖れるのは、科学的でない。時代遅れである』などと批判されていました。埋設された245Tの回収は、四国だけでなく、全国的に一応終了しています。それぞれの地域で1カ所に集め、コンクリートで周囲を固めて、管理しています。時間が経っているので、市町村役場ではおぼつかないでしょうが、各地の森林管理所で聞けば、集中管理している場所を教えてくれるはずです。

245Tは、最終的には、火力発電所か何かで、1300度以上の高温で焼却するしかありません。四国電力も火力発電所を持っていますから、私は焼却処分の交渉をしました。しかし、『危険である』ということで断られました。ですから、焼却のための火力発電所を国が作って、焼却が終わったら、誰かが火力発電所として使ったらいいんです。毒物は、どこにあっても毒物で、放射能と違って、半減期というのはありません。245Tの焼却無害化も、喫緊の課題です。私たちは、昔から、松くい虫防除の農薬散布にも反対していますが、こちらの方はまだ止まっていません」
続く

 

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