善意の押しつけ:「あなたのためを思って」と言われても、人は求めてもないアドバイスをもらうと、ストレスを感じてしまうことがあります。

善意の押しつけ

人は有益な情報を得たら、早速誰かに直接伝えたいものです。しかし、自分は良かれと思って一生懸命に誰か相手に説明しても、相手にとってはどうでもいいことだったり、タイミングによってはむしろストレスを感じたり、苦痛に思ったりするということは、実は少なくありません。

家族の人や身内からのアドバイスとなると、なおさらでしょう。仮に「あなたのためを思って」と言われても、人は求めてもないアドバイスをもらうと、ストレスを感じてしまうことがあります。しかも、自分の中で常識だと考えていたことに対し、それは実は非常識だったと熱弁されても、誰でもそう簡単に球には理解できないものです。

たとえば、外食でケーキを楽しく食べている友人に、「ケーキには多量の砂糖が使われて、植物油脂も多く、添加物も多く、、、。だから、あまり食べない方がいい。」などとアドバイスしたらどうなるでしょうか。友人はせっかく楽しんでいる時間に気分を害され、例えそのアドバイスが正しくても、ストレスを感じます。仮に正しい事だとしても、そのタイミングで言うのは相手にとって不快でしかありません。

私の場合、情報発信をしているとよくある話が、「あなたにどうしても会わせたい人がいる」、「○○さんという人がいて、絶対にあなたと話が合うから紹介する」、「この人とぜひ繋がってください」などと言われることです。気持ちはとてもありがたいのですが、私の場合、本当に会いたい人や、興味のある人がいれば、たいてい既に会いに行っているため、それ以外の知らない人と急に会っても正直話が弾まないのは見えています。さらに、相手の○○さんにとっても、実は迷惑かもしれません。

こうした「善意の押しつけ」は「あなたのことを思って」という理由が背景にあるのかもしれませんが、実はその人の単なる自己満足や、人にアドバイスすることで自分のポジションや優位性を得たいという欲求または傲慢さがあることも事実ではないかと思います。そうした善意やアドバイスはたとえ内容が正しくても、相手にとっては嫌な思い出となり、かえって、それについては反発したくなることもあるのです。

本当に相手のことを思うのなら、アドバイスを求められない限り、放っておくのが一番なのです。相手がどうしても教えて欲しい、あなたの意見を聞きたいということがあってはじめて、アドバイスをするべきかもしれません。

とはいえ、私が子どもの時に聞いた両親からのアドバイスや教えは、その時はおっくうだったとしても、大人になるにつれ、その言葉を思い出し、それが役に立っていることもあります。また、先輩や友人からのアドバイスも同様で、聞いた時は面倒くさいなぁと思っていても、あとあとそれがなんらかのタイミングで思いだし、その時になってはじめて感謝を思う気持ちさえあります。

相手の「伝え方」によっては、全く興味のないアドバイスも、聞いていくうちに受け入れられることもありますし、タイミングによっても聞き入れる態勢になることもあるのです。

つまりは、本当に相手にアドバイスしたいのなら、「タイミング」と「伝え方」が大事です。自分のペースで一方的に相手に話すのは、単なる説教であり、善意の押しつけとなってしまいますが、「タイミング」や「伝え方」を上手にしていけば、もしかすると、相手に感謝されることもあるかもしれません。

それができないのなら、相手のことを思うのなら、アドバイスを求められるまでは放っておきましょう。仮にアドバイスを求められても、シンプルに答え、それ以上のことをダラダラとしゃべってはいけません。

余計なアドバイスは相手のストレスになり、かえってそのことについての反発心が生まれるだけです。しかし、それでもやはり伝えていきたいのなら、「伝え方」を学び、言うタイミングや、引き際もきちんと備わった上でやるものだと思っています。

人それぞれの人生があります。安易な善意の押しつけは単なる自己満足かもしれません。

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