今や、医療と健康概念は神であり宗教となっているという現実

●健康はいつから宗教になったのか
少し前に、大脇 幸志郎さんという医師の方の書かれた『「健康」から生活をまもる – 最新医学と12の迷信』という書籍を購入しました。

新型コロナウイルスの緊急事態が始まった後に出版されたもので、とてもかわいらしい表紙の書籍ですが、内容はとても先鋭的で、そして「現代社会の健康と呼ばれているものの正体」を的確に浮かびあげている素敵な本です。なお、この本のことは偶然知りました。

全12章からなるこの作品では、第1章こそ「痛風、尿酸、プリン体」のような普通の健康本のような感じのタイトルで始まりますが、第10章は「WHO」、第11章は「ナチス、大日本帝国、そのほか」というようなタイトルで進みます。

著者は、ナチスや大日本帝国に存在した思想性と現在の新型コロナ対策に対しての医療的政策とに共通する概念を見ているのです。

この本の最終章では、とても興味深い文献や医学論文が数多く引用されていまして、その中で、アイルランドの医師であるペトル・シュクラバーネクという方の著作『健康禍 – 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』から以下の部分を引用しています。

健康主義は強力なイデオロギーである。なぜなら、非宗教化した社会において、健康主義は宗教が欠けたあとの真空を埋めてくれるものだからだ。

宗教の代用品として、健康主義は幅広い支持を得ている。

特に、伝統的な文化とのつながりを失って、急速に変化する世界の中で、ますます不安を感じている中流階級の間で。 (人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭)

この書籍のアマゾンのページを見ますと、「健康はいつから宗教になったのか」とあり、私がずっと感じていたことが、そのまま文字となっている感じがいたしました。

さらに、大脇 幸志郎さんの『「健康」から生活をまもる』には、2019年に医学誌ランセットに掲載された論文からも以下の部分を抜粋していました。

病院は、社会的ケアが必要な高齢者のための情報センターのようになった。人間の行動と感情の正常な多様性はいまや薬物治療の対象になった。人生の中で避けられない実存的問題を解決するのは医者の仕事になった。どうすればいいのだろう?

医学は疑似宗教になってしまった。

私たちの患者には、そっと変節と棄教を促さなければならない。

「自由」や「良心」「正義」といった最も人間にとって大切な概念を、「健康という大義名分」が上回ってしまった世の中では、何をやっても許されることにもなってしまった。

各国の緊急対策の大義名分は「人命の尊重」でしたが、何度も記してきていますように、対策によるメンタルの悪化、失業者の増加、経済的苦痛、孤立、既存病の治療の停滞などにより、膨大な「命の損失」が進んでいます。

今は「健康」は既存の宗教を超えました。

冒頭のようにマリア様は殺菌剤で消毒されるし、下のように、ムスリムたちもマスクをして社会的距離を保たないと礼拝もできません。

息=イキというのは、日本の宗教感では突出して重要ですが、他の国でもそれはある程度同じだと思われます。つまり、マスクをして礼拝するというのは、神々に対して失礼なんです。

というか、息というようなことより、少し前までは、多くの国で、カトリックの教会の集会もイスラム教のモスクの集会もロックダウンで禁じられていた事例が多かったです。

今はイスラエルで「仮庵祭」というユダヤ教の重要な祭日ですが、人々は基本的に礼拝所などに行くことはできないとイスラエルの報道は伝えています。おそらく、仮庵祭に人々が外に出られないというのはイスラエルの建国史上初めてのことだと思われます。

報道の写真を見れば、イスラエルの礼拝堂もまたシートとマスクだらけです。

何らかの存在たちは、この光景を見て腹を抱えて笑っているはずです。

そして、こういう「強制的な行動制限」ができるもうひとつの事例は、独裁政治、あるいは戒厳令下の社会です。

●医療戒厳令
今回のパンデミックが始まって以来、日本では、あまりそういう文字列は見かけないですが、世界中のメディアで、3月くらいの時点からすでに見かけるようになったのが、

・医療戒厳令 (Medical Martial Law)

という言葉です。

特に、厳しいロックダウン措置が実行された国や地域では、そのように感じたり、そのように見ている人たちも多かったようです。

現在の奇妙な社会の状態が実現するまでの行程としては、

・健康が宗教となり

・そして、その宗教の名の下に医療的戒厳令が実行された

というのがこれまでの流れのようです。

以前、ブラジルの大統領が、コロナが流行し始めた頃、ロックダウンを拒否し、

「人はいつかは誰でも死ぬものだ」

と述べたことに対し猛烈な批判が浴びせられたことがありましたが、この言葉自体はまったく現実的で合理的な言葉だとしか私には思えませんでした。

だって、人はいつか死ぬのです。

「人はいつか死ぬという厳格な事実を口にしただけで批判されるのか」

とも思いましたが、その時にも「これじゃ宗教だ」と思っていましたけれど、その懸念は恐ろしいほど徹底して大規模に拡大してしまいました。

医療という教祖がいる限り、病気で死ぬことは許されない(他の理由はOK)。

いつからこんなことになっちゃったんだろうと。

今回は、ここまで書いたことと直接的な関係があるわけではなくとも、医療戒厳令ということに関しての記事をご紹介して締めさせていただきます。

リンクより

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参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=361002

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