【池袋母子殺害】飯塚幸三、2001年にも同様の事故を起こした前科ありだった…裁判では遺族の供述中に寝る老害っぷりも披露

《池袋暴走事故》無罪主張の飯塚被告、傍聴した記者が目撃した「信じられない態度」

「車のせいにするなら、謝ってほしくなかった。妻と子の命に向き合っているとは思えない」

 池袋暴走死傷事故の初公判の後、松永拓也さん(34)は、亡くなった妻・真菜さん(享年31)と長女・莉子ちゃん(享年3)をはねた飯塚幸三被告に怒りを露(あらわ)にした。

 真菜さんの父親の上原義教さん(63)も、

「うわべだけの謝罪。反省していただいて、命に向き合ってほしい」

 と無念の涙を何度もぬぐいながら訴えていた。初めて顔を合わせた被告の言動にふれれば、無理もない……。

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 昨年4月19日、豊島区池袋で『プリウス』を暴走させ、松永さん母子を死亡させたほか9人に重軽傷を負わせた事故で、「過失運転致死傷」を問う初公判が、10月8日に東京地裁で開かれた。

 旧通産省工業技術院の元院長だった飯塚幸三被告は、同乗した妻とフランス料理店の予約に急いでいた途中に、死傷事故を起こしたのだった。

 しかし、被告は事故で入院したことや、高齢などの理由で警察に逮捕されないまま在宅で捜査が進行。

 遺族感情を逆なでするようなインタビューも報じられるなど、被告への風当たりは強まっていた。

 冷たい秋雨が降っていた当日、車イスで法廷に現れた89歳の被告を間近に見ると、この1年半の間に体調などの変化はあったにしても、こんなにヨボヨボの高齢者が運転していたとは──という印象。

 裁判長に罪状認否を問われた際に、被告は、

「はじめに」

 と言って、証言台でいきなり車イスから立ち上がり、

「今回の事故により、奥さまとお嬢さまを亡くされた松永さまご遺族に、心からお詫び申し上げます。最愛のおふたりを亡くされた悲しみ、ご心痛を思いますと、言葉がございません。また、おケガをされて苦しまれた方とご親族にも、深くお詫び申し上げます」

 と初めて公の場で謝罪の言葉を口にし、頭を垂れた。

 ところが、続けて次のように述べた。

「(起訴状で)検察官の言うアクセルペダルを踏み続けたことはありません。車になんらかの異常が生じたために、車が暴走してしまった」

 と反論。被告の弁護人も、

「被告人に過失はない。過失運転致死傷は成立しない」

 と無罪を主張したのだ。

 こうした被告の主張が、冒頭の遺族感情を害したことは当然で、週刊女性は目を疑うような場面も目撃した──。

 公判中、被告は終始、弁護人側の席で、視線を落として、うつむいていたまま。ほとんど動くこともなく、表情の変化もなかった。

 それは、終盤で検察側が松永拓也さんの供述調書を読み上げているときのこと。

 妻子の事故の報告を受けて駆けつけ、損傷がひどかった遺体と手をつなぎ、

「真菜に出会えて幸せだった。莉子を天国に連れていって」

 と声をかけ続けていた心情を読み上げるところだった。

 傍聴人までが目頭を押さえているときに、被告の首は、一段と下に傾いたまま。5~10分ほど、その状態を保ったまま、微動だにしなかったのだ……。

 加害者として、聞くに耐えない内容で、涙を隠すように泣いていたのか。あるいは、睡魔に襲われていたのかもしれない。

 今回の裁判は、新型コロナウイルス対策で全員がマスクを着用。女性検察官の小さい声がさらにマスクで遮られていたので、聞き取れず集中力を失ったことは考えられる。

 その間、被告を何度も観察したが、残念ながら眠気に耐えかねているようにしか見えなかった。

 高齢であることは考慮しても、自分が裁かれる場でも耐えられない体力しかない人間が、自動車を運転していいのかという疑問もある。

 飯塚被告は医師から運転を止められていたとも報じられていて、車がなければ生活できなかったわけでもない。

「さらに、2001年に同じような前科があることがわかり、今回は事故の責任を認めていないので、不利な状況だと思います」(民放社会部記者)

 今後、検察の立証を覆せる自信があるのか、実刑判決を受けても、高齢や健康などの理由で収監されないと高をくくっているのか……。

https://news.yahoo.co.jp/articles/302ad9020068a12f73a4d3b0c5302ced8e946498?page=2

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参照:http://hamusoku.com/archives/10300262.html

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