「健康という宗教」が世界中に拡大する中で強行された医療戒厳令。今や、医療と健康概念は神であり宗教となっているという現実

リンクより

◆健康はいつから宗教になったのか

少し前に、大脇 幸志郎さんという医師の方の書かれた『「健康」から生活をまもる – 最新医学と12の迷信』という書籍を購入しました。

新型コロナウイルスの緊急事態が始まった後に出版されたもので、とてもかわいらしい表紙の書籍ですが、内容はとても先鋭的で、そして「現代社会の健康と呼ばれているものの正体」を的確に浮かびあげている素敵な本です。なお、この本のことは偶然知りました。

◆ナチスの思想性と新型コロナ対策の共通項

全12章からなるこの作品では、第1章こそ「痛風、尿酸、プリン体」のような普通の健康本のような感じのタイトルで始まりますが、第10章は「WHO」、第11章は「ナチス、大日本帝国、そのほか」というようなタイトルで進みます。著者は、ナチスや大日本帝国に存在した思想性と現在の新型コロナ対策に対しての医療的政策とに共通する概念を見ているのです。

この本の最終章では、とても興味深い文献や医学論文が数多く引用されていまして、その中で、アイルランドの医師であるペトル・シュクラバーネクという方の著作『健康禍 – 人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』から以下の部分を引用しています。

『健康主義は強力なイデオロギーである。なぜなら、非宗教化した社会において、健康主義は宗教が欠けたあとの真空を埋めてくれるものだからだ。宗教の代用品として、健康主義は幅広い支持を得ている。特に、伝統的な文化とのつながりを失って、急速に変化する世界の中で、ますます不安を感じている中流階級の間で。 (人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭)』

◆イデオロギーとしての健康主義

この書籍のアマゾンのページを見ますと、「健康はいつから宗教になったのか」とあり、私がずっと感じていたことが、そのまま文字となっている感じがいたしました。さらに、大脇 幸志郎さんの『「健康」から生活をまもる』には、2019年に医学誌ランセットに掲載された論文からも以下の部分を抜粋していました。

『病院は、社会的ケアが必要な高齢者のための情報センターのようになった。人間の行動と感情の正常な多様性はいまや薬物治療の対象になった。人生の中で避けられない実存的問題を解決するのは医者の仕事になった。どうすればいいのだろう?医学は疑似宗教になってしまった。私たちの患者には、そっと変節と棄教を促さなければならない。 (Lancet)』

◆自由・正義を上回った近代観念としての健康

ちなみに、先ほどの『人間的医学の終焉と強制的健康主義の台頭』を書かれた医師は、アイルランドの方ですが、今日(10月5日)、アイルランドに関して、以下の報道が流れていました。

●アイルランド専門家チーム、全土のロックダウンを政府に提言

アイルランドの国家公衆衛生緊急対策チームは4日、政府に対し4週間にわたる2回目の全土ロックダウン(封鎖)を提言した。2人の政府筋が明らかにしたもので、予想外の動き。5日に閣議で協議するという。 (ロイター 2020/10/05)

シュクラバーネク医師は、どういう気持ちで自国の対策を見ていらっしゃるのかなと思います。しかし、いずれにしましても、どの国においても、「健康が宗教化した今だからこそ、新型コロナに対してこのような政策を強行することが可能だった」のだとは思います。

「自由」や「良心」「正義」といった最も人間にとって大切な概念を、「健康という大義名分」が上回ってしまった世の中では、何をやっても許されることにもなってしまった。

◆「健康」は既存の宗教を超えた

そして、いったん、この「大義名分」が通用してしまった以上、それを貫き通すことは可能なわけで、現実として、多くの世界において、マスクと社会的距離(という名の強制孤立化)が日常と化しています。ここまで人の生活を見た目からさえ根本的に変えて、さらには「人々に自主的にそれを行わせる」ことができるようなものは、かつては宗教くらいでした。

今は「健康」は既存の宗教を超えました。冒頭のようにマリア様は殺菌剤で消毒されるし、下のように、ムスリムたちもマスクをして社会的距離を保たないと礼拝もできません。息=イキというのは、日本の宗教感では突出して重要ですが、他の国でもそれはある程度同じだと思われます。つまり、マスクをして礼拝するというのは、神々に対して失礼なんです。

◆世界規模の強制的な行動制限

というか、息というようなことより、少し前までは、多くの国で、カトリックの教会の集会もイスラム教のモスクの集会もロックダウンで禁じられていた事例が多かったです。今はイスラエルで「仮庵祭」というユダヤ教の重要な祭日ですが、人々は基本的に礼拝所などに行くことはできないとイスラエルの報道は伝えています。

おそらく、仮庵祭に人々が外に出られないというのはイスラエルの建国史上初めてのことだと思われます。何らかの存在たちは、この光景を見て腹を抱えて笑っているはずです。そして、こういう「強制的な行動制限」ができるもうひとつの事例は、独裁政治、あるいは戒厳令下の社会です。

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参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=360781

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