現代の学校制度では『人事考課制度』が、教師の私権意識によっていじめを隠蔽する方向に働いている。
以下、(リンク)より転載。
********************************■教師も結局自分が一番大切
過去の学校でのいじめ自殺事件などが何よりもその証明になっていますが、とにかく学校はいじめ問題を真剣に解決してくれるとは限りません。
そして、最悪の場合いじめ自殺そのものを何事もなかったかのように隠蔽して世間体を守ろうとするような学校も沢山あります。
私も他者の悪口陰口は嫌いですが、これは紛れも無い真実なので書き記します。
学校の中で不都合な事がおきてしまうと、人命よりも学校の評価評判を優先する馬鹿みたいな学校は少なくありません。
大津の中学生自殺事件は正にその典型的な例で、学校という組織の闇を見ることができますでしょう。
そして、自殺にまで至らないいじめ事件であっても、まともに解決しようとしない学校も有ることを付け加えておきます。
ここで大切な事は、学校を決して過大評価しないことです。
教師だって人間であり、結局は自分自身の生活・地位が大切なことは変わりません。
現在での学校現場には『人事考課制度』が採用されているのが基本的で、教育再生会議などでもいじめを放置する教師などは低評価の対象になるという流れでした。
要するに教師自身が他の同僚の教師たちと競争しなければならなくなったということです。
そして、いじめが起きて解決できるような教師というのは昇進や給料の面でも高評価を得られるというシステムが出来上がってきました。
それならば
「じゃあ学校でしっかりイジメを解決してくれるんでしょ?」
「教師だって給料上がるなら頑張るんじゃないか」と考える人もいるかもしれません。
しかし、この考え方はとても危険です。
なぜならばいじめが起きると指導能力を疑われて、逆に昇進などの面で不利になるならば、隠蔽してしまえばいいと考えるのが大半だからです。
過去にそうした事例は幾度と無く存在しましたし、それはこれからも起き続けるでしょう。
いくらいじめはいけないことだから何とかしようとしたところで、所詮人間は自分が一番大切で可愛い生き物です。
ましてや自分の生活や利害が絡んでいる立場の学校関係者であれば、なおさら解決しようとしないと考えるのが有る意味自然です。
教師も教育委員会も、果ては文部科学省などの関係者も、結局は1人1人の心身の安全や命などどうでもいいと考えている人間は存在するという事を覚えておいて下さい。