スティーブ・ジョブズが必死に追いかけ「生涯の師」とすがった日本人が話題

8254612アップルコンピュータ(現アップル)の共同設立者として、またiMacやiPhoneの生みの親として、文字どおり”技術で世界を変えた男”スティーブ・ジョブズ。

・どん底の状態にあったスティーブ・ジョブズが必死に追いかけすがった、謎多き日本人僧侶・乙川弘文の生涯!

若き日に「禅」と出会い、そこから多大な影響を受けたといわれるジョブズが、「生涯の師」と仰いだのが乙川弘文(おとがわ・こうぶん)という日本人僧侶だった。

遠い異国の地で、純粋に禅と向き合い続けた弘文の数奇な人生と、その教えに惹(ひ)きつけられたジョブズとの関わりを、8年にわたる取材で丹念に描き出したのが、柳田由紀子氏の著書『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧』(集英社インターナショナル)だ。


──スティーブ・ジョブズが禅の「師」と仰いだ人物が、これほど破天荒なお坊さんだとは知りませんでした。柳田さんはなぜ弘文の物語を書こうと思われたのでしょう?

柳田 きっかけは、ジョブズの死後にアメリカで出版されたイラストブック『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』(2012年刊)の翻訳を手がけたことで、私もこの本で初めて、乙川弘文という日本人僧侶の存在を知りました。

私はもともとアップル製品の簡潔で美しいデザインや直截(ちょくせつ)的な使いやすさに敬意を抱いていましたし、ジョブズが禅の影響を受けているという話も知っていましたが、禅や仏教に関して詳しいわけではありませんでした。

そこで禅とジョブズの関係や、彼が生涯の師と仰いだ乙川弘文という人物に強い興味を抱いたのです。ただ、実際に取材を始めてからは、何度もくじけそうになりました。


──それはなぜでしょう?

柳田 ジョブズも弘文もすでに亡くなっているので、生前のふたりを知る人たちを訪ねて話を聞き、取材を進めていったのですが、弘文は日本ではまったく無名の存在でしたし、元は曹洞宗の僧侶でありながら独自のスタイルで布教を続け、実質3回も結婚し、5人の子供がいて……という、実に型破りな人物です。

また、弘文の活動場所は日本からアメリカ、さらにヨーロッパを転々としていて、文字どおりの「風来坊」ですから、なかなかその生涯を追いきれない。

ただ、私にはアメリカ在住という地の利があったので「私がやらなければ、弘文は無名のままで埋もれてしまう」という気持ちがありました。

もうひとつは、取材を通じて「弘文ほどアメリカ社会に溶け込んでいる日本人を知らない」と感じたことで、同じアメリカに暮らす日本人として、そうした弘文への共鳴や、取材で出会った方々との縁が私の背中を押してくれたのだと思います・・


・どんな人にも、良かれ悪かれ物語や、その過程で分岐点となる出会いがあるんですね。ジョブズがどう、僧侶がどう、禅がどう、というより、出逢って、その過程で何を形にするかですね。

・世界のスティーブジョブズは人をこき使って自分のアイデアを他人より早く世に出し実現することの才能に長けていた。
禅僧も彼にとってはアイデアの為のパンドラの箱に過ぎない。
スティーブジョブズにはアイデアに対する愛情があっても人間に対する愛情はない。

・曹洞宗アメリカの禅センターの歴史をみると、多くの問題を起こしてきたことがわかります。
基本的にアメリカ人で禅を学ぼうとするような人は真面目な人が多く、日本からやってきた戒律も守らないゆるゆるの僧侶への不満がたまり、禅センターは人間関係が無茶苦茶になるということを繰り返している。今で言うセクハラやパワハラが問題になった。
今は、アメリカ人の生え抜きの真面目な僧侶を指導者にすることが増えている。
ライバルでもある韓国系なり華人系の禅センターやテーラワーダ系の瞑想センターが真面目なので、どうしてもアメリカ人は日本の禅僧に疑問を抱きがちなのだ。
パンク坊主に惹かれたジョブスもまたパンクであり、修羅の道を歩んだ。
それはブッダの説く教えではない。

・この僧侶、生活費とかどうしてたんだろう。ビザも昔のアメリカはユルかったのかな。

・かつての戦国武将が仏にすがったのと同じ感じなのかもしれない。

・何かにすがりたい。誰かにすがりたい。
これは誰でも一緒ですね。

参照:http://blog.livedoor.jp/gunbird/archives/10261507.html

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