【牛乳 危険】牛乳の歴史:19世紀まで、ドイツ語にもラテン語にも「牛乳を飲む」という表現はなく、「牛乳を食べる」という表現があっただけである。この頃まで、液体の牛乳は飲用食物と考えられていなかった。

【牛乳の歴史】

『Milch besser nicht(牛乳は飲まないほうがよい)』の著者マリア・ロリンガー(Maria Rolinger)が英文要約を和訳したものの一部です。

牛乳バターの生産が多くなったことで、脂肪とチーズに関して、ヨーロッパを南北二つに分類できるようになった。南ヨーロッパは相変わらずオリーブ油と山羊と羊のチーズが主体であった。北ヨーロッパでは牛乳からバターをつくり、その残りから酸っぱくて臭いサワーミルクチーズ(訳者註:現在のサワーミルクチーズと同じものかどうか判らない)が作られた。このサワーミルクチーズは19世紀まで貧乏人の食べ物とされていた。このチーズは現在のチーズではなく、牛乳の中に存在する微生物が低脂肪乳を固めたものである。貧乏な農家はバターを金持ちに売り、自分たちはこのサワーミルクチーズかホエイチーズを食べていた。

修道院はチーズの製法を門外不出とし、従来の製法を堅く守っていた。修道院のチーズは主として山羊乳からつくられ、低脂肪牛乳からつくられるサワーミルクチーズに比べて美味であった。僧や尼はしばしばチーズに耽溺したから、院長は僧や尼にチーズを食べることを禁じなければならなかった。一般人はこのようなチーズを口にすることはできなかったし、バターは金持ちの食べ物であった。

面白いことに、ホエイに相当する古いドイツ語はホエイ(乳清)を意味するのではなく、「チーズの水」を意味していた。「チーズの水」はあるときはゴミ、あるときは動物の餌、またあるときは下剤として用いられた。17世紀にオランダ人がドイツでバターとサワーミルクチーズの生産で商売を始めたとき、彼らは同時に豚を飼育して大もうけした。「チーズの水」を与えると、豚は他の餌で飼うより速く大きくなったからである。今にして思えば、「チーズの水」にIGF-Iやエストロジェンが含まれていたのだろう。

19世紀まで、ドイツ語にもラテン語にも「牛乳を飲む」という表現はなく、「牛乳を食べる」という表現があっただけである。この頃まで、液体の牛乳は飲用食物と考えられていなかったからである。牛乳はバターにするか、サワーミルクにするか、コッテージチーズのようなものにして「食べて」いたのである。

さらに、19世紀までは牛乳の生産量が現在のようにキログラムあるいはリットルで表されることはなかった。この当時の表現では「この牛は年間、たとえば50ポンド、のバターを生産する」というようにバターの出来高で表現されていた。

液体の牛乳が飲まれるようになったのは1870年代になってからで、産業の発展が保存のための冷蔵技術と運搬のための鉄道建設をもたらしてからのことである。どんなことでも新しい習慣は金持ちから始まることが多い。19世紀の終わりになって、都市に住む金持ちが農村から牛乳を求めるようになった。豊かな階層の人々でも都市で広大な敷地をもつ一戸建ての家に住むことはなくなったから、自宅で乳搾りをしてバターやチーズを作ることはできなくなった。

都市は埃っぽく見知らぬ人ばかりだ。豊かな都市住民は、かつて自分があるいは祖先が住んでいた清らかでなんでも自給できた農村の生活に憧れをもつ。都市住まいであっても少しでも昔の生活をとり戻したい。牛乳も欲しかった、それがいかに高価であっても。最初は牛乳を飲むという習慣はなく、バターを調理に使いサワーミルクを食べていた。家庭に液体の牛乳が持ち込まれるようになると、彼らはその液体そのものを口にする(飲む)ようになった。20世紀になって初めて液体の牛乳が飲み物として認識されるようになり、牛乳を飲むことが習慣となった。しかしその量はわずかであった。

農村の人々は相変わらず、液体の牛乳を普通の食品とはみなしていなかった。農村の人々が労働者として都市に移り住むようになっても液体の牛乳を飲むことはなかった。彼らが望んだのはバターであったが、それを購う余裕がなかった。都市では、バターは金持ちの食べ物となっていたからである。貧乏人のバターとしてマーガリンが考案された。このマーガリンは牛乳ホエー(乳清)に乳牛の体脂肪(タロウ)を混ぜ合わせたものだった。

19世紀の終わりに、コレラ、結核、ジフテリアなどの伝染病が流行し、都市では何千人も死んだ。死者は貧乏人だけでなく金持ちにもおよんだ。死者は液体の牛乳を飲んだものに多かったから、医者は飲み水の汚染だけではなく、牛乳も汚染源であると考えた。そのため、上流階級の間には生の牛乳は危険だという考えが広がった。そこで、牛乳の加熱処理が始まった。しかし加熱された牛乳は不味いという理由で金持ちにも貧乏人にも評判が悪かった。生の牛乳は病原体を運んでくるし、病原体を加熱して殺した牛乳は不味い。上流階級の牛乳に対する考えは揺れていた。

第一次世界大戦が終わった1920年代から30年代にかけて、政府と業界が牛乳は万人にとってよい飲み物だという宣伝を強力に繰り広げるようになった。この宣伝で牛乳の飲用が広まった。第二次世界大戦が始まるまで牛乳の消費は拡大し続けたが、それでも現在の消費量に比べるとずっと低かった。バター、自家製のサワーミルク、少量のチーズが当時の食卓にのぼった牛乳からの主たる乳製品であった。ヨーロッパで牛乳・乳製品の消費が今のように多くなったのは1950年以降のことである。

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