スノーデンはコロナ禍が「世界的な監視を巨大化するために利用されている」と言う

「コロナ禍」
現実に起きていることと、起きるかもしれないことの二つは、相乗効果を表す。
鍵を掛け忘れ、泥棒が入ったらと心配になるように。
不安とはそういうものだ。
現実に起きたことを過剰に評価し、起きてもいないことに、大きな不安を感じる。
そのことが、対処方法を誤らせる。
いったい「何が起きているのか」 そして、「何が起きていないのか」
これらを可視化しなければ、正しい評価などできない。
異常に恐れる人ほど、可視化できない傾向がある。
抗体検査が進むに連れ、無症状、あるいは軽症の人が予想以上に存在することが分かってきた。
つまりは、致死率は極めて低い。
エアロゾル感染も現実にはなく、罹患者もインフルエンザよりも極めて少ない。
重篤化する患者の割合は多いが、総数は少ない。
デマが出回るのは、「メディア伝染病」によるものだ。メディアの劇的表現に不安を抱く人々により拡散される。
スノーデンは、コロナ禍が「世界的な監視を巨大化するために利用されている」と言う。
何が怖いかと言えば、「世界的なメディアテロや全体主義的政策」が一番怖い。(ウイルス学者 Pablo Goldschmidt)
個人は全体に従属すべきではない。個人はあくまでも個人なのである。
それが否定される現実こそ、「コロナ禍」ではなかろうか。
(コロナ禍について、最近よく訊かれるので、書いてみた。)
おやすみ。
※参考サイト(読んで欲しく)
https://swprs.org/covid19-facts-japanese/?fbclid=IwAR0N5kh_PiQyButeHeADpds-ARKa2m71Jz7rRBMIf1M3sjhjFWVaqCn5PrA

参照:https://www.facebook.com/yoritaka.okamoto/posts/2941278002620019

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