あなたが自己の意見にとらわれ、受動的にだれかの情報を求めている限り、あなたに幸福も健康も訪れることはない

結果
あなたが自己の意見にとらわれ、受動的にだれかの情報を求めている限り、あなたに幸福も健康も訪れることはないし、能動的に調べて決断して動けるようになれば、あなたの周囲には幸せが訪れるだろう。
専門家よりも素人であればあるほど、幸福になれる可能性は高いともいえるのだ。
なぜなら中途半端に知識を持っている人間ほど、洗脳されていることには気付かず、ありもしない知識に振り回されてしまうからだ。
あなたが本当の意味で努力し自己を省みれば必ず結果は訪れる。
本来人間がなしえたものはそれがマイナスの要素であれ、必ず人間の力で元に戻すことが可能だからだ。
しかし、そこから逃げようとしてしまうと当然うまくはいかない。
物事から逃げることをせずに、辛くても正面から問題に取り組むことこそ、結果的にも最も有効で早い解決法なのだ。
あなた方が何かを判断するときに、そのものの資格や権威や言語ではなく、何をなしえどこに向かい、最終目標がなんであるかだけに着目することだ。
この世で最も重要な生物が子どもであり、最も不要である生物が老人であることを受け入れる必要がある。
老人に死ねと言っているのではなく、「老兵は死なずただ去りゆくのみ」ということだ。
だれよりも昔の老人ほどそのことをよく悟っていたが、今の老人ほどに醜い生物はいない。
生物はそうやって次世代に命を受け継ぎ、自分はひっそりと死にゆく、このことは万国の良識的な哲学に共通している。
道理があれば本来この世には法律さえ必要ない。
本来の生物に一切のごまかしなど必要ない。
ただひたすらに地球と宇宙の道理や摂理にこそ従う必要がある。
その道理や摂理はすぐに人類に牙をむく。
ヒューマニズムなどというものは単なるエゴにしか過ぎないからだ。
思えば仏陀もキリストでさえ、人々にグーミンといい続けた人たちだった。
もちろんもっと彼らは優しく人々に受け入れやすい言葉を使ったが、それは所詮言葉の違いであり観念の違いではない。
さらにいえばそのようにやさしい言葉であったからこそ、そこから広がった三大宗教は世界をここまで腐らせたのかもしれない。
本来宗教とは霊性を高めるための修行であり、真にニンゲンから良き人間へ進歩するための手段であったはずだが、もはやそれは失われて久しい。
本来我々人類に職業などいらない。本来我々人類が為す仕事とは我々がやっている仕事ではない。
本来我々が知るべきことはこの世にはびこっているいかなる観念でもないのだ。
結局、疑問を持ちつづけることができず、真理に近づこうとせず、それが真理であると与えらえたものを受け取るだけの人々、それが愚民であり奴隷であり現代人であり宗教者であるといえるだろう。
あなた方がそうではなく常に自分が間違っていることを考え、自分を高めるために学び続け、「彼ら」を滅ぼすために行動することを願っている。

参照:https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/2795778523839216

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