唯物論と観念論の違い・・・霊魂や精神を考察するときは観念論のほうが正しいかのように思えてしまう。 だがそれもまたウソであるという視点をなくしては、霊魂や精神の本質に迫ることはできない。

唯物論と観念論の違いについて
 
霊魂、精神と物質との関係を考察していくときには、必ず「唯物論」と「観念論」の違いについて考察しておかねばならない。
唯物論(マテリアリズム、英:Materialism)とは、精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方のことである。
前述したモノアミン・ウソ仮説などはその代表格であり、それ以外にもさまざまな唯物論的考察が霊魂や精神には向けられている。
 
それに対して観念論(イデアリズム、英:Idealism)は、精神のほうが根源的で、物質は精神の働きから派生したとする考え方である。
これは哲学的思考にもつながるし、少しずれれば宗教的な発想にもつながる。
ところで、哲学と宗教を明確に線引きできない人は多いが、宗教は大きな目でみれば哲学であるにすぎず、哲学に良いも悪いも本質的には存在などしない。
 
しかし哲学と違い宗教という存在になれば、そこには集団意識が発生し、教義が発生し、お金のやり取りが発生し、上下階級が発生する。
そしてこの宗教の発生によって人を支配したいという願望が発生し、正義や悪、彼我が正しい・間違っているという思想が発生してくる。
これを分けて考えることはとても重要なことであり、もっとも初歩的なことであるといえるだろう。
 
唯物論は少し広げて考えると、物理学などの原子論や二元論にも通じると考えられることが多いようだ。
またダーウィンの進化論に代表される科学や宗教否定(既存科学の礼賛)に通じる。
ダーウィンの進化論が間違っているのはもはや説明するまでもなく、本人でさえも晩年は認めていることであり、優生学のなれの果ての姿である。
これは優生学の歴史を追っていけばわかる。
 
観念論を少し広げて考えると、物質より精神を重視しているので、既存科学の否定に結びつくことが多い。
観念論は先ほど言った創造論にもつながるが、世界中の一神教(特にキリスト教など)が世界の歴史で何をやってきたのかをつぶさにみれば、やはりそこに正しさは微塵たりと存在していないことに気づく。
彼らはいつも支配、洗脳、殺戮にしか興味がないようだ。
 
霊魂や精神を考察するときは観念論のほうが正しいかのように思えてしまう。
だがそれもまたウソであるという視点をなくしては、霊魂や精神の本質に迫ることはできない。
観念論に通じる宗教の歴史的大罪は、どれだけごまかそうとしてもごまかしきれないほどに大きく、それは観念論の罪にも通じるし、現代人の多くが唯物論賛成派であり科学信者であることの一番の理由だからだ。

参照:https://www.facebook.com/satoru.utsumi/posts/2773833609367041

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