最近、裁判の判決が可笑しい。狂っている。

福島原発関連訴訟の一つで放射能による土壌汚染で東電を相手取り地主が訴えた訴訟で、福島地裁が奇妙な判決を下した。土壌中にある放射能は今は東電の手から離れ、その土地に混ざって存在しているので、東電の責任を問うことは出来ないとの判断を下した。

最初、このニュースを聞いたとき正直耳を疑った。何を言ってるんだ、この裁判官は頭が可笑しい。狂っているのではないかと。その後、段々腹が立ってきた。モヤモヤが消えない。

裁判官も検察官も、高学歴で最難関と言われる司法試験をクリアしたキャリア中のキャリアである。裁判官は一定の研修期間を経て各裁判所に配属され実務に就く。その後は狭い限定された司法の籠の中でキャリアを積み上げる。

ここに狂った判決を出す第一の原因がある。先ず、若いころに広い社会の経験を積む(人々の生の生活を知る)期間がない。更にそれ以前も学校と言う社会とは切り離された閉鎖空間で人間の成長にとって最も重要な時期を外で遊ぶこともせず、16年間も勉強漬けにされたことは致命的である。これでは血の通わない冷血ロボットになるのは必然である。

そこで、裁判でどのように判決が下されているのかということが気になるが、ネットに出ていた「ニッポンの裁判」「絶望の裁判所」の著者が、裁判官の意思決定のメカニズムについて重要な指摘をされている。

>一般的に裁判官は、提出された証拠の事実認定を行い、それに法律を当てはめることで、オートマチックな判決を下しているようなイメージが流布している。しかし、それは幻想に過ぎない。実際の司法判断は、裁判官の人間性によって、判決の内容も如何様にも変わるので、著しく劣化した裁判官は、著しく劣化した判決を連発することになる。

どういうことかというと、事実を総合、再構成して事実認定を行い法律に照らして結論を導くというよりは、裁判官の、ある種の総合的直観に基づいて結論をだすというやり方が主流だということのようだ。判決の思考経過は、後付けの検証、説明に過ぎないという。

である以上、我が国の司法の劣化を改善するには、何よりも先に精神的にも肉体的にも健全な直観力を身に着けた若者を育てること。その為には学校に閉じ込めて勉強を強制することより、外で皆と遊ばせるなかで課題を見つけ、追求し、答えを見付け解決する力と心根を養成することの方が如何に大切かが自ずと分かってくる。

最近の裁判事例では、福島以外にも、埼玉県熊谷市のような6人も殺して地裁の死刑判決が東京高裁で心神耗弱が理由で無期懲役に減刑の判決や、裁判員制度での一審の死刑判決が高裁で無期判決になる多くの判決など、頭を傾げたくなる判決が増えているように思う。一般市民としても座視出来ない状況にある。

参照:http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=352560

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