家族制度・・・アメリカの占領政策により完膚なきまでに破壊されることとなった。 拝金主義に陥り自由は過度なまでに追求され自然への畏敬は消え失せた。 道徳は軽視され、無気力で信念は存在せず義理もまた消え失せてしまった。

日本人の美徳とは
 
日本の中で共産主義を代表とした階級闘争をしようとして、日本の家族制度に阻まれた歴史などほとんどの人は知らないだろう。
有名な工作員のアルベール・トーマはこう述べている。
「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。
何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。
家族が暖かく迎え入れてくれるからである。
この家族制度をなんとかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」といっているのである。
しかし残念ながら現在は完全に成功してしまった。
 
実際、この家族制度も問題がなかったわけではない。
しかし現在と比べて比較しようもないほどに人間的であったこの制度は、アメリカの占領政策により完膚なきまでに破壊されることとなった。
拝金主義に陥り自由は過度なまでに追求され自然への畏敬は消え失せた。
道徳は軽視され、無気力で信念は存在せず義理もまた消え失せてしまった。
腐った官僚と政治家が横行し目先の利益にとらわれ、歴史を学ぶこともなく自分たちへの批判に耳を傾けることもなくなった。
 
日本人が世界の中でも美徳にとみ自然を崇拝し、家族を大事にし共存共栄し生活していた時代があった。
それは縄文時代やその前に差し掛かる先住民時代である。
その世界では人間はちっぽけな存在に過ぎず、自分を正当化し肯定するような要素などなかった。
日本人の本当の美徳とは自己の弱点や欠点をちゃんと見つめ、つまらない自己賛美になど走ることなく、平和と共存と共栄を考え他民族に対して許容性があり、次世代を大事にするという発想であったのだ。
 
家康は「厭離穢土欣求浄土」(おんりえどごんぐじょうど)を馬印に用い、戦乱の世は、誰もが自己の欲望のために戦いをしているから、国土が穢れきっていてる。
永遠に平和な浄土をねがい求めるならば、必ず仏の加護を得て事を成すとした。
江戸時代に入り日本は鎖国となり軍縮主義に転換、国は違う方向に腐敗していったがそれでも平和な時代だったといえなくもない。
戦争はいかなるものも破壊し正義も悪もごちゃまぜにし、戦争の正義性や正当性など微塵もないにもかかわらず、日本人はそれを訴えることに最近躍起となっている。
 
本当の愛国者であり本当の日本人であれば、どの国の民族、どの宗教、どの肌の色の民族だからと区別したりは決してしないし、愛国をエサに使いながら軍国と一部既得権益の反映など決して求めはしない。
本当の愛国者であれば右翼も左翼も存在しないし、改革者に対してサヨクなどというレッテルを貼ったりもしないし、きれいごとと自己賛美にまみれた自虐史観廃止など訴えるはずもない。
世界のすべてと共存し国境を越えて接し真の繁栄をもたらすことができるのは、本当の愛国者だけなのである。

参照:https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=746824549139468&id=100014357893194

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